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奇跡講座WB実践273 神の平安の静けさは私のものである

第二部
6 キリストとは何か
レッスン273
神の平安の静けさは私のものである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


今日、昨日の練習を続けた。
今日は昨日よりあなたの罪悪感、恐れに気づく回数が多かった。
そしてそれについて赦しをする回数も多かった。

これもそうかな?
と思いながら、そのまま流してしまったこともあった。
日々の忙しさのなかで、吟味せず流してしまったことも多かった。

たぶんちゃんと気づこうと思ったら、
きっと秒単位で気づくんじゃないかな。
そして秒単位で赦しをすることになるんじゃないかな。

ちょっとした言葉に、
ちょっとした思考に、
ちょっとした判断に、
罪悪感をベースにしたものが溢れている。
話しかけられた時、私の口から出る言葉は、
これまでの習慣で流れ出たものだったり、
これまでのように自我の思考から流れ出るものだったりする。

自我の捉え方のその先にあるキリストの見方で見たら
どのように捉えることができるのか。
私の口から出る言葉はどのような言葉なのか。

聖霊の声に耳をすます時間はない・・・
とばかりに日常に流されてしまう。


日常に流されたことを聖霊に持っていこう。

赦しをしよう。


そのままでいい。
いまのままでいい。
私たちは真の私を思い出せるよう、聖霊に導かれている。
今いるところがひどいところに感じても、
まったくできないと感じても、
自分が嫌いだって思えても、
その一点だけしか見れない私たちは、全体を判断できない。
全体を見れる聖霊から見れば、私たちはみんな順調に真の私を思い出す道を歩いている。
私たちはみんなしっかり一歩一歩、真の幸せに向かって歩いている。

聖霊の声に耳をすませよう。
一時でも耳を聖霊に向けよう。
そこには静かな平安がある。

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