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奇跡講座WB実践352 裁きと愛は正反対のものである。一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる

第二部
14 私とは何か
レッスン352
裁きと愛は正反対のものである。一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


私は今、自分で気づく前に裁いている。
自分で生み出した幻想の中で、
投影した人や現象を裁くことで、自分を裁いている。

私が強く信じている罪悪感が、自分を裁くことを選ばせる。


だから裁いている自分に気づいたら、その裁く心に赦しをする。
裁く心を取り去ってもらう。
罪悪感を取り去ってもらう。


私は実在するもののことを何も知らないのに、
自分で生み出した幻想を見て、判断している。
判断して勝手に恐れ、不安に落ちている。

障害になることが起きないように、
何か言われることがないように、といつも思っている。

障害になることだと思っているものを裁いている。


朝起きてから、外に出るまでにも何度も裁いている。
何かをしようとする毎に判断し裁いている。


ああ、果てしない。


果てしないと感じるのも勝手な判断だ。。。


ドラマを見れば誰かに共感し、誰かを裁いている。
経験のあることなら、それを思い出して人を自分を裁いている。

思い出す過去の経験などすべて幻想なのに。
すべて存在していないのに。
そこから正しい判断などできるはずもないのに。


果てしなかろうが、なんだろうが、
赦しをしよう。

私が赦しをできるとは、なんと素晴らしいことだろう。
神の意志の一端を担っているのだから。
私の赦しが、世界を愛で包むのに役立つのだから。


神の愛は代償を求めない。
神の愛は見返りを求めない。
神の愛には条件がない。
神の愛には隔たりがない。
神の愛は太陽の光のようにすべてに届き、
光が届かないところにも届く。
奪われることもなく、喪失することもない。

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