![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108627340/rectangle_large_type_2_e874beb9548c1729c06dd351fdccfcef.jpeg?width=800)
奇跡講座WB実践352 裁きと愛は正反対のものである。一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる
第二部
14 私とは何か
レッスン352
裁きと愛は正反対のものである。一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる。
私は今、自分で気づく前に裁いている。
自分で生み出した幻想の中で、
投影した人や現象を裁くことで、自分を裁いている。
私が強く信じている罪悪感が、自分を裁くことを選ばせる。
だから裁いている自分に気づいたら、その裁く心に赦しをする。
裁く心を取り去ってもらう。
罪悪感を取り去ってもらう。
私は実在するもののことを何も知らないのに、
自分で生み出した幻想を見て、判断している。
判断して勝手に恐れ、不安に落ちている。
障害になることが起きないように、
何か言われることがないように、といつも思っている。
障害になることだと思っているものを裁いている。
朝起きてから、外に出るまでにも何度も裁いている。
何かをしようとする毎に判断し裁いている。
ああ、果てしない。
果てしないと感じるのも勝手な判断だ。。。
ドラマを見れば誰かに共感し、誰かを裁いている。
経験のあることなら、それを思い出して人を自分を裁いている。
思い出す過去の経験などすべて幻想なのに。
すべて存在していないのに。
そこから正しい判断などできるはずもないのに。
果てしなかろうが、なんだろうが、
赦しをしよう。
私が赦しをできるとは、なんと素晴らしいことだろう。
神の意志の一端を担っているのだから。
私の赦しが、世界を愛で包むのに役立つのだから。
神の愛は代償を求めない。
神の愛は見返りを求めない。
神の愛には条件がない。
神の愛には隔たりがない。
神の愛は太陽の光のようにすべてに届き、
光が届かないところにも届く。
奪われることもなく、喪失することもない。
記事内容を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!