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奇跡講座WB実践238 救済のすべてが、私の決断にかかっている

第二部
2 救済とは何か
レッスン238
救済のすべてが、私の決断にかかっている。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


ここ数日のレッスンの内容は、頭ではわかる気がするものだけど、まったく心に入っていない感じだった。
どう受け取ったらいいかもぼんやりした感じ。
ぼんやり”こんな感じ”って受け取るのは得意で、始めはそんな感じに受け取ることしかできないけど。
それでも一日の終わりに”これに気づいた”ということがはっきりしない日が続いていた。

今朝、今日のレッスンを数回読んだ。
やっぱりしっくりすんなり入ってこない。
聖霊に助けを求めた。

神がそのように私を愛している。
私はそんなにも神に愛されているというのに、私はこのレッスンに抵抗しているみたい。
日常の中でも、人をジャッジするのを止められない。
気づけばジャッジしてる。
はっきりイライラしてなくても、心にささくれが生じてる。
これをやめたい!
そう決断してるつもり。
そう意志してるつもり。
だけどつもり止まりみたい。
どうしたらいいかわからない!
今日、どう意識したらいいか、教えてください。

するとすぐに、気づかされたことがあった。

神が私を愛しているように、私は周りの人を愛で見たことがなかった。


!!

たしかに!

神の愛を少しばかり、まだ”頭で”だけど受け取れるようになった今もなお、神ではなく自我を選んでいる私を、
神は、失望もせず落胆もせず、怒りもせず悲しみもせず、
今も一体であるがゆえに、私を信頼し私に期待し私に愛を注いでくれている。

私はどう?
今まで私たちと共に真理への道を歩いていたように見えていた友人が、歩みを止め、完全に自我と共にいることを選んでいる。

一緒に歩んでいけると思ってたけど違ったのかな・・
と落胆する私がいる。


幻想世界こそ現実だと信じて、自身が気づいていない罪悪感に苦しみ続けている人を見る。

真理を知りたいという意識もない人だ、私と共に歩む人じゃない、と勝手にジャッジして切り離す私がいる。


私は彼らを愛の目で見ていない。
彼らを神の子だと見ていない。

勝手に失望し、勝手に諦めている。


これはまったく神の見方ではない。


救済は私の決断にかかっている、ということは、
私が彼らを神の子だと見ると決断することだ。
そのように見せてくださいと聖霊に願うことだ。
彼らがどのようなことをしようと、どのようなことを言おうと、
彼らと私はひとつであり、ひとりの神の子である。
必ず全員神とひとつであることを思い出し、還ることが決まっている。
だからこそ、彼らの言動がどのようであろうと、
私は彼らを神の子と見よう。
そのように決断し、聖霊にゆだねよう。


そう朝に思ったのに、
また今日、兄弟をジャッジして攻撃する自分を見た。 


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