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奇跡講座WB実践73 私は光が現れることを意志する

第一部
レッスン73
私は光が現れることを意志する。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


無為の願望と不満の数々が、あなたが見ている世界の映像化に協力した仲間たちであり、共同制作者たちである。世界を生起させたのは、自我の願望である。この世界を維持するためには不満が不可欠であり、その不満を必要としている自我は、世界の中に多くの人物を住まわせる。あなたを攻撃しているように見え、「正義の」裁きを受け受けるべきと見える人物たちである。彼らは、自我が不満を商うために雇い入れる仲買人となる。そうしてあなたの自覚と兄弟の実相の間に立ちはだかる。彼らを見ているあなたは、自分の兄弟を知らず、自分の自己のことも知らない。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


不満に抗えない自分を嘆き、それでも神の元に還りたいと望みながら朝目覚め、今回のレッスンを読む。
そこに書かれていたことは、なぜ不満に抗えないのかがちょっとわかるような助けになった。

この世界を維持するために、不満が不可欠なんだ。
ならば不満は無くならないだろう。
それを見続けたいか、見過ごしたいかだ。


ふと以前学んだ六道輪廻を思った。
天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界がある。
天界は天人が住まうところ。
人間界は人間が住まうところ。
修羅界は常に戦いがあり怒りと苦しみの世界。
畜生界は虫や鳥や獣の世界。
餓鬼界は飢え渇きに苦しむ世界。
地獄界はあらゆる苦しみの世界。

以前は人間には精神レベルのようなものがあって、さまざまな経験から精神レベルが上がっていくことで、それぞれの階層を上がり天界まで行くのかなと思っていた。

だけど今浮かんだイメージは、すべてがこの世界にある。
どの界もここにあって精神レベルによって生まれ変わる界が変わるわけではなく、経験したい世界に行く。
そしてそのすべてが幻想だということ。
天界にも死はあって苦しみがあるのだから不満もあるのだろう。
(あくまでも私の独自のイメージです)


もうこの世界には留まっていたくない。
私は本当に神の光へ還りたい。

それで私には不満をなくするとか、罪悪感を消すとかはできない。
それは聖霊に差し出そう。
そして私は神の光の中へ還るということを意志しよう。
神とひとつであった私に還ることを意志しよう。

不満にまみれても、罪悪感にまみれても、
意志することはできる。


夕方、驚愕の真実をLinpから聞く。

私は神から離れてしまったという間違った信念を持っている。
そしてその奥では、
神のもとになど絶対に還りたくない
という思いがある。
だからワークがちゃんとできない。
どんなにちゃんとやろうと思ってもできない。
このできないということを素直に認めて、
神のもとになど絶対に還りたくないと思っていることに気づいてほしいと聖霊は思っている。

私が、本心では神のもとになど絶対に還りたくないと、
今も思っているということが驚愕だった。
ワークを進めてきて還りたいという方向に変化してきているんじゃないかとどこかで思っていた。

でも、絶対に還りたくないと思っているからこそ、
不満は湧くし、争いが目に入る。
問題や病も目にするし、耳に入る。
私の目や耳に入ることは、私の内側にあることのみなのだから、
私の中には不満、争い、問題、病の唯一の原因である罪悪感があるということ。
神から離れてしまったという罪悪感。
それがあるからこそ、還りたくないのだ。
還ると罰せられるから。

このことに本当に気づき認めるとき、
自力は完全に手放され、完全に聖霊に明け渡すことができるのだという。


あ~
ワークできないと感じるのは当然なのか。

また私の耳に入るどんな情報も、
私の分離していたいという願望を表しているものだ。

今、私はまだ明け渡すところまで行っていない。
まだどこか自力で頑張ろうとしている。
これからはワークのできなさ加減や、
耳や目に入る情報に私の願望を見ていこう。

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