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奇跡講座WB実践30 神が私の心の中にいる

第一部
レッスン30
私が見ているあらゆるものの中に神がいる理由は、神が私の心の中にいるからである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


今回は前回のと合わせてワークしてみた。
前回のだけよりも、この主題概念を心に思うことが多かったけれど、でも真に心から思えていないのを感じる。
言葉を心で言っているけれど、実感がない。

今はそれでもいい。
自我の見方でしか見ていなかったのだから、
すぐに出来るわけじゃない。
今新しい見方への心の訓練を始めたばかり。
実感がないままにワークを繰り返した。


神が私の心の中にいる。
私の目に映るのは、私の心の投影。
だから目に映るすべてに神がいるのなら、
私の心に神がいるということ。

神は私が神の元に還るために、
様々な人を私の人生に登場させ、様々な出来事を見せてきた。
それは自我の私にとっては辛いことだったり苦しいことだったり嫌なことだったり、悲しいことだったり怒りを引き起こしたりすることだった。

そういうことがなければ、自我の私が信じた誤った信念に気づくこともなかったし、なにかが違うなにかが変だと疑問に思うこともなかっただろう。
そして数十年間信じて疑わなかった間違った信念をすっかり捨ててしまいたいという、あまりにも怖い選択をすることなどできなかったと思う。


幼い頃から聞かされていたことを守ったり、
社会のルールや正しいとされることを守ったりしていれば
幸せになれるのだろうと信じ、
時には我慢し、時には無理をしてきた。
どうしたら幸せになるかと頭で考え、それをやってきた。

プライベートもほとんどなく一生懸命働くこと。
仕事で成果をあげることを目指して一生懸命働くこと。
素晴らしい経営者の話を聞いたり、ノウハウを学んだりすること。
成功のノウハウを実践してみること。
素肌や髪を綺麗に保つこと。
おしゃれな服や小物を持つこと。
興味がある場所にはどこにでも出掛けていくこと。
”人のために”時間を使うこと。
美味しいものを見つけること。

何をやっても何かが空虚で、満たされることはなかった。
一番欲しかった理解者すら、充分に私を満たしてくれるとは思えなかった。

もういい加減本当に幸せになりたい!
変わらぬ平安と安らぎが欲しい!

それでもまさか、ずっと信じてきた社会のルールや常識、”正しいこと”が、私の信じていることのすべてが、誤りだったなんて思いもしなかった。

何をやっても欲している永遠の安らぎは得られないけれど、
数十年信じてきたことがまったくの偽物だったなんて。
永遠の安らぎを得るには、そのすべてを捨ててまったく違った見方をする必要があるだなんて。


そのすべてを捨て去って、真に見たい!
今まで信じていたことなど捨て去ってもいい!

そう思えたのは、今までの人生で築いてきた実績、信頼、プライドなど様々なものが根底から崩れ去るような経験をしたからだ。
その経験をさせてくれたのが、その時の状況であり関係した人々だ。
その状況や人々がその役を担ってくれたので、
私はその経験ができて、真我へ向かう決断ができた。

私の人生に登場した人々はすべて私を真我へ向けてくれた人たち。
その一人一人の中に神がいる。


私はもうなにがなんでも心眼で見たい。
この世界を心眼で見たい。
キリストが見ていたように見たい!
もう自我の見方はしたくないです。
心眼で世界を見せてください!

そう祈った。
直後、言いようのない恐れが沸き上がってきた。

キリストが見ていたように見たいけれど、
そのためにまた苦しい体験やつらい体験、
みじめな体験をしなければならないのは怖い・・・

でももしそれが必要だったとしても、
この自我の見方を続けるほうが嫌だ。
今は怖い。恐れを感じる。
恐れを感じるけれど、それでも心眼で見たいです。

そう心に祈った。

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