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奇跡講座WB実践235 私が救われることが、慈悲深い神の意志である
第二部
2 救済とは何か
レッスン235
私が救われることが、慈悲深い神の意志である。
私が為すべきことは、ただ、自分を傷つけるように思える物事を眺め、全き確信をもって、「私がこのことから救われることが、神の意志である」と言い、自分を安心させ、それらが消えてゆくのをじっと見ていることだけである。
昨夜、自分が傷つけられたように感じた出来事があった。
私は間違ってると言われた。
私がわかっていないと言われた。
と私が勝手に感じたのだ。
昨夜久しぶりの友人から電話があった。
彼女は今苦しいところにいるようで、自分なりに取り組んできたようだけれど、出口が見えないのと次々に起きる出来事に疲れてきているようだった。
私も通ってきたところだから共感できる。
私が思ってきたこと感じたことをシェアできる。
そして出口が必ず見えること、それが遠くはないことを伝えることができる。
なにかの説明をするとか、導くとか、
それは無理なので、ただ話を聞いて伝えたらいいなって浮かんできたことを話すスタイル。
そして感じたことを伝えるだけ。
そんな感じで電話を切ると、Linpが言った。
「奇跡講座以外のことは全部遠回りになるから、奇跡講座のことだけを伝えたい。Ruruはその苦しみの原因をもう知ってるでしょ?どこで苦しんでるのかわかるでしょ?赦しをすることでそこから抜けてきたでしょ?赦しを伝えればいいでしょ。」
まただ。
ダメだしだ。
瞬間的にそう感じてしまった。
私は今、自我の沼にハマって抜け出せないのがはっきり見えて、それに取り組んでるとこで、神にすべてをゆだねれてない。
まったくゆだねられてない。
出てきた言葉を話すだけ。
自我の沼にハマってるなら、正解なんて話せない。
ってか正解も間違いもないでしょ?
今の私にかかってきた電話なんだから。
そういう思いが流れていく。
Linpを否定する思い。
言ってることは正しいんだろうけど、私をジャッジしてる。
私はジャッジされた!!
自我の沼にハマってる苦しみ。
ジャッジされるという苦しみ。
そして私は間違っていると私が信じている苦しみ。
そしてその私の状況が体に現れているように、
手も指も、肘も肩も、最高に痛い。
私がこの苦しみから救われることが神の意志である
私がこの苦しみから救われることが神の意志である
イライラさせる人がどうのじゃない。
Linpがどうのじゃない。
全部わたし。
反撃とか反論とかまったく意味がない。
神の意志が、私が苦しみから救うことだというのなら、
それでも私は自我の沼に甘んじ続けるんだろうか。
私の有罪性を握りしめているんだろうか。
四方八方から苦しみがきて、
ひとつひとつに赦しをしようとか思えない。
流砂に飲み込まれ、諦めたい気持ちにもなる。
でも、神はこの苦しみから救おうと意志している。
ひとつひとつである必要はない。
ぜんぶ差しだそう。
ぜんぶ明け渡そう。
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