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奇跡講座WB実践180 復習169、170

第一部
レッスン180 復習(レッスン169、170)
神は愛であり、だから私も愛である。
169 恩寵により、私は生きる。恩寵により、私は解放される。
神は愛であり、だから私も愛である。
170 神には残酷さはなく、だから私にもない。
神は愛であり、だから私も愛である。

奇跡講座下巻 受講生のためのワーク


いつものようにイライラを知覚した。
いつものように私の中の見下す心を知覚した。
いつものように微かな恐れを知覚した。

それをただ見る。
判断したり裁いたりせずただ見る。
そして赦しをしてそれを聖霊のもとに差し出す。
その心を取り去ってもらうよう差し出す。


この世界は幻想世界。
神から離れた自我の隠れ家。
それなのに、神はこの世界で生きるための役割を与えてくれた。
赦し。
赦しを続けて真我を思い出し、
神を恐れ、神を攻撃し続けていることに気づき、
その攻撃性を取り去ってもらう。
神から離れたと思い込み罪悪感を抱え込んだ心を修正してもらう。
間違いを修正してもらう。
それによって肉体の目ではなく心眼でこの世界を見ることができるようになる。
私が心眼で見るとき、
私の周りの人たちも真我を思い出していく。

それが私の役割。


この世界はすべて私の投影であること。
まだ100%そのように見ることはできない。
心の動揺に気づいたとき、それが私の投影なんだと
思い出すことができるくらいだ。

仕事で求められていることができないと悩んでいる人。
普通の人よりあれこれ心配して神経が疲れている人。
健康が脅かされていて、倒れる可能性を抱えている人。
いつもなにか不足を感じていて、一人のパートナーで満足できない人。
自分にはこれができると思えることがなにもないと哀しんでいる人。
報道される様々な驚異に不安を抱え続けている人。
人を非難することで自分の正当性を示し、そこに安心を見つけようとしている人。

そのような人を目にしているのは、
そういう人がいるのではない。
そのような心が私の中にあるのだということだ。

これらをひとつひとつ赦していく。

そうしたいと思いながら、
繁忙な日々の中で、その赦しをすることをすっかり忘れている。
忘れていることもまた、防衛のひとつの形なんだろう。


この防衛を取り去ってもらうところから始めよう。

人を裁いたり見下したりする残酷な心を知覚して認め、
それを赦す。
そうしてひとつひとつ取り去ってもらう先に、
真我の目で世界を見ることができるようになる。
それが神の恩寵であり、この恐れの世界からの解放だ。


恩寵を受け取り、この世界から解放されることはもう完了している。
私は今、聖霊に確実に導かれている。
自分を裁くこともせず、粛々と赦しを続けていこう。

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