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奇跡講座WB実践54 復習16~20

第一部
レッスン54 復習(レッスン16~20)
16 私に中庸な考えはない。
17 私は中庸なものを見ていない。
18 私の見方がもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。
19 私の考えがもたらす結果を体験するのは、私ひとりではない。
20 私はぜひとも真の見方で見たい。

奇跡講座下巻 受講生のためのワーク


私の考えは、偽りの考え(分離の想念)か真実の考え(真の想念)かのどちらかしかない。
どちらでもないとか、半分正しくて半分間違いということもない。

私の目に見えるものが、私がどちらの考えでいるのかを教えてくれる。

私が偽りの考えでいると、みんなの分離の想念を強める。
同様に私が真実の考えをすることで、みんなの内に真の想念を目覚めさせる。
私が真実の考えを選択することで、私の前に神が創造した実相の世界が現れる。同時にみんなの目にも実相の世界が見えるようになってくる。

それは神の力。そして神とひとつである私の力。

自分の考えは世界と共有されている。
だからこそ、私は真に見たい。
神の意志と私の意志がひとつであることを思い出したい。



今回は今の私の考えが偽りの考えであること、分離の見方をしていることをたくさん気づかされた。
それは私自身の恐れや怒りという形ではなく、
もっと静かに、馴染み深い形で表れた。

一人の10代の女の子と、彼女と一緒に働いている30代から60代の仲間、そしてその会社の話を聞いた。

10代の女の子は少し健康に不安定さがあり、一週間のうち4日は休むか早退かすることが多い。
その度に仲間は彼女のフォローに入る。
彼女は申し訳なかったという思いはあるのだろうけれど、それを仲間のみんなに対して口にすることはない。
加えて、彼女の出勤日に彼氏と予定があるとか家の予定があるとかで休みを希望する。
彼女がその日休めるように、仲間のうちの一人が彼女と休みを交換してあげる。

会社は彼女をとても大事にしているのか、彼女の要望にはなんでも応える構え。仲間たちが直してほしいと言っても直さないけれど、彼女が希望すれば電気が付いてないところに電気を付けたり、手袋をして作業できるように検討したりする。
それは現場のチーフを入れずに彼女と会社の上層部だけで情報交換が行われているという。


その話を聞いた私の心にすぐにある思いが浮かんだ。

おかしい。
会社のやり方もおかしいし、それで一番困るのは遅かれ早かれ彼女になる。
なぜ会社が彼女だけ特別扱いしているのかわからないけれど、
こんな対応をしていては彼女のためによくないし、
会社も発展はないだろう。

それで私はこの話をした人に

「それはおかしいですね。」

と反応していた。
この時はなにも気づいていなかった。

だけどその後違和感に気づいた。

”おかしい”と思う話を聞いたのは、私の考えにそれがあるからだ。
改善しなければと思うような話を聞いたのは、私の考えが狂った偽りの考えだからだ。
その私の考えの投影に過ぎない。

おかしいという考え、改善しなければという考えを引き起こす、私の狂った考えを、取り去ってください。

以前、企業で働いていたとき、私は経営企画に所属していたことがあり、このような改善点を見つけ改善提案をするような仕事をしていたことがある。
仕事でなくとも、大学の頃から仲間内でその時のテーマについて議論することも好きだった。

”おかしい”、改善しなければという考えは、建設的な考え方で、まさかそれが偽りの狂った考えだとは思ったことも無かった。

今回初めてそれに気づいた。


私は真に見たい。
そう強く望んでいる。顕在意識では。
でも無意識の部分では、がっつり偽りの考えに満ちている。

一瞬落ち込んだ。
自分を責めた。

うわー、だめだー、ぜんぜん真に見れない・・・

落ち込んだり、自分を責めるのもまた自我の見方だ。
今回のように、今まで気づけなかった小さな偽りの考えに気づけるように、聖霊が見せてくれているのだ。
それをひとつひとつ、聖霊に取り去ってもらうんだ。
どんどん取り去られていけば、もっとも奥に残っている、神の意志であり私の意志であるところにたどり着くだろう。


今回、この出来事で自我の見方に力を与えたことで、
まったく別のところで、
Linpにイライラする気持ちも出てきたり、
知らない人に対して、”邪魔だ”という気持ちになったりした。

その気持ちを認め、聖霊に願う。

取り去ってください。
私は真に見たいです。

私が真に見ることが、私の周りにいる人たちにとっての最善になるのだから。

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