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奇跡講座WB実践285 今日、私の聖性は明るくはっきりと輝く

第二部
7 聖霊とは何か
レッスン285
今日、私の聖性は明るくはっきりと輝く。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


なぜイエスなのか。
なぜ聖霊だけじゃなく、イエスを頼りにするのか。

これはイエスに聞くしかない。

朝、私はイエスに心の内を洗いざらいぶちまけた。

この肉体の目で見たものが現実だとしか見れない。
今、イエスを頼るってことが耳に入ってきた。
なぜイエスなの?
私はイエスに頼ることに抵抗してるの?
イエスに頼るってどういうこと?
赦しは聖霊でしょ?
だって私の抵抗は、赦しをして聖霊に取り去ってもらうしかないじゃない。取り去ってもらったら真に見れるようになっていくんじゃないの?

イエスからの言葉は特にない。
私がつっぱねてるのかもしれない。
だけど、心にあることを全部ぶちまけたらすっきりした。
溜飲が下がったって感じ。



何事もなく時は過ぎ、帰りにバスに乗った。
あるバス停でお年寄りが乗ってきた。
2人掛けの椅子に座っていた女性が立ち上がり、お年寄りの女性を奥に座るよう促した。

お年寄りが座ろうとしている時、運転手が言った。

「(バスが)動きますよ」

お年寄りが座り、立ち上がった女性が座るかどうかの時、
バスは動き出した。


私の目はそれを見、私の耳はそれを聞いて、

運転手さん、せっかちなのかな

そう思った。
もうちょっと待ってくれてもいいのにな・・・


その時、

それを見方を変えて見てみたら?

と。



あ・・・

心眼で見たらどうなるのか。

お年寄りのために待ってくれたらいいのにとか、
運転手さんがせっかちだなとか、
席を立った女性は親切だなとか、
それは今までの見方だ。

心眼で見たらどうか。

それを意識的にやってみようとすることはほとんどなかった。
”心眼で見る”がわからない。
キリストの心眼がわからない。
見れない。
今の私には見れないから。
だから”心眼で見る”ということを選択しなかった。


イエスがそっとそれを教えてくれた。

私がイエスに悪態をつこうと、怒ろうと、イエスの愛は変わらない。
イエスは悪態をつく私を見ていない。
イエスは文句を言う私を見ていない。
イエスは私の聖性だけを見ている。
私が神のひとり子であることだけを見ている。


イエスにすべて話してみようか。
日常のなかで、私が自我を選んでいるのに気づいた時、
私の心が抵抗しているのに気づいた時、
そのたびにイエスに聞いてみようか。




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