奇跡講座WB実践52 復習6~10
今回は、レッスン1~5の復習をベースにレッスン6~10の復習をやることにした。
レッスン1~5の今私が思う主要な練習内容。
私が見ているものはすべて実在ではなく私の心の投影である。動揺するようなことが起きたとき、それは私の心の投影であることに気づき、それを赦しの機会にする。
そして真に見ることを選択する。
レッスン6~10。
私に見えている世界は、私の意味の無い過去経験に基づく意味の無い私の考えだ。私はそれを実在しているかのように見ることを選択していたから、心眼を退けてしまっていた。神に対抗している自分を赦し自分が誰なのかを思い出すことを選ぶ。
真の私の想念は神の想念だ。実在するものは神の想念によって神に創造されたものだけだ。私は実在するものをあるままに見ることを選ぶ。
実践する機会はすぐに訪れる。
私が使っていた場所を使ってもいいかと聞いてきた人がいた。
5分ほどで使い終わる感じだったので、終わったらどうぞと言った。
使い終わるやいなや彼はツカツカとやってきて1、2分使い、そのまま黙って去っていった。
誰かに文句を言いたい気持ちが瞬時に生まれていたけれど、
それは微かな動揺とともに静かに過ぎ去っていった。
それでもほんの少し、チラチラと動揺の影は残っていた。
義母が体調を崩したそうで義父とともに病院に行ったという。
疲れがたまったのだろうとの診断で家に戻ったという義母に
「大丈夫?」と声をかけた。
あとで「大丈夫?」と聞いた自分に気づく。
友人が私に愚痴を言ってきた。
元旦那さんも現彼氏さんも友人自身を大切に思ってないと感じているようだ。それぞれ自分の都合で友人のことを便利に使っているだけだと感じているようだ。
そのように友人自身が自分を見ているから、そう見えている。
そのことは彼女も頭でわかっている。
だけど業相だと頭でわかっているだけだから、やはり苦しそうだ。
苦しそうに見えたのは、私の考えだ。
真の愛が欲しくて苦しんでいるのは私も同じだ。
彼女は私の投影だ。
私は真に見ることを選択する。
どれほど私がこの体こそ私だと信じているのかを感じる。
この幻想世界こそが現実だと信じているのかを感じる。
微細な動揺にこそ気づき、そのひとつひとつを赦しの機会とし、
真の自分を思い出したい。
すべてはひとつ。
罪悪感もひとつ。
だからそれだけが本当にすべての幻想世界からの救いになる。
記事内容を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!