不満は愛を攻撃する。
ということは不満は私自身を攻撃しているということ。
ワークブックのこの部分を読んだ瞬間、浮かんだ思いは、
静まってこの思いと向き合ってみた。
考えはどんどん進み、そして疑問が生まれた。
そこでLinpに聞いた。
Linpからの応えに私はがっつり動揺した。
Linp
これを聞いたとき、すぐに湧き上がってきた思い。
あぁ、私はこんなにも分離していたいと思っているんだ。
反発する、反論する。
自我の手を握りながら、聖霊を選んでいると思い込んでいる。
ショックだ。。。
聖霊の声に気づけるようになってきてるんじゃないかと思っていたようだ。
赦しもうまくやってるはずだと思っていたようだ。
その思い込みこそが自我の策略。
本当は自我の手を取っているのだということに気づかせないための策略。
今日、友人から相談を受けた。
彼女は一生懸命仕事をしている。
自分の仕事をこなすために、家に持ち帰ってまで頑張っている。
なのに、同僚から誤解されているという。
自分の仕事以外の仕事を押し付けられたりするという。
”もういやだ”と嘆く友人。
その話を聞きながら、私の心はあちこち揺れ動いていた。
友人の不満を聞いた。
ということは私の不満の投影であるから、赦しをするところだ。
友人の問題を解決しようとするのは違う。
幻想なのだから。
反面友人の苦しみに私の感情が寄り添っている。
苦しみをなんとかしてあげられないかと思っている。
そしてその苦しみの原因をどうにかできないかと思っている。
心が定まらない。ふらふらと揺れ動いている。
これについてもLinpに話した。
Linp
今、まだこのことを受け止めきれてない。
すごく大事な経験をしていることは感じる。
でも受け止めきれない。
今はただ、私が本当に自我の手だけをしっかり握っている状態であることを認めよう。
こんなにも分離を望んでいるのだということを認めよう。
しっかり認めて、ただ聖霊に願おう。
聖霊の手を取りたいと願います。
分離を望む心を取り去ってくださいーーー