奇跡のコース実践記録25
★パート2 真の知覚の獲得への取り組み
5. 肉体とは何でしょうか
6.「キリスト」とは何でしょうか
ゆるしの実践をしていると、ふと疑問が湧いてくることがあります。
言葉に囚われていた私ならではの疑問。
これはゆるしの実践を始めてまもなくの頃にはよく出てきました。
昨日は納得したのに、またわからなくなった・・・なんて感じです。
それでもゆるしを続けていると、何か気分が下がることが起きた時、ゆるしの実践ができる!と楽しめるようになりました。
それでもふと
と疑問が出てきます。
頭で考え始めてズレていく感じがあって気分が落ちてきます。
ゆるしの実践って何をやってるの?ってことですが、
やっているのはこれです。
「ゆるし」と聞くと、何か不利益を被ったことなどを責めないで受け入れるとか、気にしないとか、そんなイメージがあるのですが、
この実践にはそんなイメージはありません。
これ、自我の誘惑です。
ゆるしの実践を続けさせたくない自我の誘惑です。
ちょっと変なんじゃない?
違うんじゃない?
という思いを湧き出させ、ゆるしの実践から離れさせようとするんです。
これまでずっと自我の見せる世界を信じて生きてきました。
自我の見せる世界とは、この物質世界です。
目に見える世界こそが、触れることができる、確認できるものこそが真実であると信じてきました。
この肉体こそが自分。
この感情こそが自分。
この思考こそが自分。
五感とは肉体が感じるものです。
目、耳、鼻、舌、肌。
五感に変化を感じると瞬時に感情が動き、思考が生まれます。
思考は五感と過去経験、信念によってどんどん動きます。
真っ白で、音も匂いも動きもない、一切変化のない空間では思考は動かないと言います。
この肉体こそが自分だとすると、この肉体以外のものは自分ではないということになります。
分離です。
自分と自分以外の違いを見る。それが分離の世界です。
違いを見るから苦しみが生まれます。
肉体も感情も思考も、分離の世界のものなのです。
自我は分離の世界でしか生きられません。
神と本当の私たちはひとつです。
本当の私たちの家である神の家が天国です。
聖霊も本当の私たちとひとつですが、聖霊は分離の世界に来た私たちが家に還ることができるよう導くため、肉体を持った私たちの中にいてくれているのです。
本当の私たちの家に還る方法は、私たちにはわかりません。
聖霊だけがわかっています。
この分離の世界で生きる上では、
自我に従うか、聖霊に従うか、どちらか一方だけを選択できます。
どちらもちょっとずつなんて選択肢はないのです。
たとえ今自我に従っていても、聖霊は私たちの中にいてそっと見守ってくれています。自我に従う間の経験も大事で必要です。
時が来れば、聖霊に従って天国へ還る道を歩んでいくのです。
聖霊に従うということは、自我の死を意味します。
だから自我は抵抗するわけです。
なんとか自我が作った世界こそが真実だと思わせておきたいのです。
怪我、病気、感情の苦しみ、喜び、楽しみ。
それらを起こして、この肉体こそが真実だと信じさせておきたいのです。
私は肉体、感情、思考だと信じることは、神からの分離を信じさせます。
神は完全で、この肉体、感情、思考は不完全だと見えます。
神から分離したことを信じるので、罪悪感が生じます。
その自分の中の罪悪感が、様々な出来事を見せているのです。
だからネガティブになるような出来事が起きたら、
その基にある罪悪感を認め、聖霊にその罪悪感を取り去ってもらうのです。
罪悪感を取り去ることができるのは聖霊だけだからです。
それがゆるしです。
ある日、7、8年ぶりの友人から連絡が来ました。
どうやら数人での旅行で近くに来ているようでした。
会えないかとの連絡に、こちらの予定を伝えました。
その後連絡が来ない間、私の思考は動きまわりました。
気分が落ちてきたことに気づきました。
この思考は違う、と思えました。
相手と私は別人だと思っているから出てくる思考です。
すべての出来事は私が手放すべきことに気づかせるために起きていることと思っても、思考は湧いてきます。
聖霊にお願いしました。
こういう思考が湧くたびにゆるしの実践をしました。
湧くたびに実践しましたが、どうなるだろうとは心配しませんでした。
会うことが必要なら会えるだろうけれど、このゆるしが必要で、実際に会うことが必要ではないなら会わないだろうと思えました。
数日後、調整したけれど時間が取れなかったと連絡がありました。
起こる出来事によって動く感情や思考を見ると、
自分のパターンとして当たり前すぎて見過ごしてきたものが見えます。
そのパターンによってネガティブになる経験はもう必要ないと感じたら、
ゆるしの実践をします。
初めはそれが何になるのかわかりませんでしたが、
やり続けるうちにいちいちネガティブに落ちることが減ってきました。
肉体、感情、思考が自分だと信じていた私をゆるします。
罪悪感を強く強く持っていた私をゆるします。
そして何重にも張り付いた罪悪感を1枚ずつ取り去ってもらうのです。
本当の自分に戻る道、神の家に還る道です。
Ruru
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