奇跡講座WB実践85 復習69、70
私は不満はを見ていたくない。
でも昨日の気づきがショックすぎて、不満に負けてしまう。
真我が光を放って、不満を消し去ってくれるようにと願うけど、
きっとその光に照らされて、隠されていた自我の信念が見えてくるんだろう。私はそれを見て、その信念が自分にあるのを認めて聖霊に差し出す感じなのかなーー
朝このワークをして、そう思った。
この日は、さらに深く打ちのめされる一日となった。
朝、Linpと話した。
この体の中には神や聖霊や光はないと以前Linpが言っていた。
なぜならこの体は幻想世界のものだから。
神や聖霊は幻想世界には存在できない。
ただ聖霊はこの幻想世界こそ現実だと信じている私にメッセージを送ってくれている。
この体が自分だと完全に信じて生きてきたので、
この体は幻想で私と思っていたものはなにもないんだと言われると、どうしたらいいかわからなくなる。
恐れが起きる。不安が出てくる。
何か支えになるものが必要に思える。
だからこの体の中に聖霊と繋がっている種のようなもの、光の種のようなものがあるとイメージしたほうがワークしやすい。
赦しも実践しやすい。
そう感じるとLinpに言った。
すると、
これを聞いたとき、また反発心が出た。
”なってくる”なんて言い方して、Linpはそうなってるってこと?
あーもう!
聞きたいことはそんなことじゃないよ!
もっと違うところが聞きたいのに!
なんて聞けばいいの?!
なんだか気持ちがぐるぐるしたまま一日が始まった。
小さな不満の種がたくさん見つかる。
見つかるたびに赦しをする。
どう言うのが正しいかなんてわからない。
わからないけど、原因は自分の中にある罪悪感だってことはわかる。
この罪悪感を取り去ってください!
午後、私のイライラに火がついた。
原因は、昨日友人が話していた人。
どうしようもなくイライラする。
怒りが燃え狂う。
深呼吸する。
ワークを思い出す。
光・・光・・・光・・・・・
いったんは静まって聖霊の手を取れたかに思えた。
でも結局私は、自我の手だと気づきながら、
自我の策略だと気づきながら、
自ら自我の手を握ってしまった。
自我を選んでしまった。
友人に不満、イライラを話してしまった。
イライラを話して、一時のスッキリ感に気分良くなった。
こんなすぐに変わってしまうスッキリ感を喜んでいる。
こうして私は幻想世界を楽しみたいんだ。
こんなに分離していたいんだ。。。
遅い来る罪悪感。
無力感。
神の元に還りたい。
眠りから目覚めたい。
聖霊の手を取りたい。
そんなことを口では言いながら、
私はそれと気づきながら自我をがっつり選んでいる。
この世界を楽しみたいと思っている。
大声を出しながら歩いている人を見た。
すれ違いたくないな。
見ないようにしよう。
瞬時にそう思った。
イエスはこんなこと思わない。
イエスのようになりたいと思いながら
反射的に分離の見方をしてしまう。
今でもまだどこか、自分でやれると思ってたんだろう。
できないって気づくのは絶望にも近い。
諦めたくなる。
無理!できない!救われるなんてないんだー!
って思いが湧いてくる。
ここ。
ここなんだ。
できないのはできない。
だけど救われないなんてことはない。
もう救いは終わってる。
ただ赦しをし続けるんだ。
取り去ってと何度も願っても何も変わってないように思える。
だけどちゃんと変わってる。
そこは聖霊への信頼だ。イエスへの信頼だ。
この世界には私が求める幸せは無かった。
いろいろやってみたけど、どこにも無かった。
だから諦めない。
絶望の中にある一本の光の糸である赦し。
私はその赦しをし続けよう。
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