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奇跡講座WB実践37 私の聖性が世界を祝福する

第一部
レッスン37
私の聖性が世界を祝福する。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


この主題概念は、世界におけるあなたの真の機能、いわば、あなたがここにいる理由について、初めてほのめかしている。あなたの目的は、世界を自らの聖性を通して見ることである。そのようにして、あなたも世界もともに祝福される。誰も何も失わない。誰からも何も奪われることはない。誰もが皆、あなたの神聖なる心眼を通して恩恵を受ける。それは誰にでも当然与えられるべきものを完全に与えるので、犠牲の終わりを意味する。そして誰もがすべてのものを得る資格を与えられる。それが神の子としての彼の生得権だからである。

奇跡講座下巻 受講生のためのワークブック


自分のあり方、この世界での役割が明確になった。
今までこんなに明確に感じられたことは無かった。
まだ完全にその役割を実感しているわけではないと思うから、少しふわふわしてるけど。

心眼(Vision of Jesus)で見るということがどういうことなのか。
目の前に起きる出来事をどのように見るのか。
自分の内に沸き上がる欲求、感覚をどのように見るのか。
それらがほんの少しだけ見えた気がした。

ワーク35から37の実践によって、
変化があるのかどうか、自分でははっきりとわかっていない。
けれど少しの変化は感じている。
それがワークの実践の成果なのかどうかわからないけど、
とにかく世界が優しくなってきてる感じがする。

現在の私の作業や、私を取り巻く人間関係には問題と見えることはほとんどなくなった。
知らない人までが笑顔で親しげに挨拶してくれる。

どうにかなってくれたらと望むことは、
体に現れる様々な痛みや、環境の自由度だ。
痛みは無くなるか軽減されてほしいと思うし、
環境はもっと自由にいろいろできる環境になってほしいと思う。

真にやりたいことは、
真我へ還る道を歩いている人たちとの交流で、
そのために場所や時間に制限ない環境にいたい。

その願望があることを確認する。
その上で私がしていくのは心眼で世界を見ること。
心眼の聖性で見えるすべてを祝福することなんだ。


一度目のワークの時には、これはほとんど腑に落ちなかった。
自力で自分の願望を叶えるために、何かしなければならないと思っていた。

それから独自の実践とテキストを読むなかで、
自分で考えることは自我の域を出ないのだと知った。
自分で考えたことをやってもうまく行かないばかりか、少しうまくいったとしても規模は小さくスピードも遅いのだ。
現に何とかしようとしたことはほとんど動いてない。

願望がいつ叶うか、
それどころか願望が叶うのか叶わないのかすら、
すべて聖霊に委ねよう。
私に与えられた役割を果たせるように、聖霊の導きに従おう。

私はワークを実践しよう。
心眼で見るということを初めてやり始めているのだから。
心眼で見るということが成熟していくようにやり続けよう。
これは心の訓練だ。

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