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奇跡のコース実践記録20

★パート1 現在の見方を解除する取り組み

レッスン 196
私が十字架にかけることができるのは私自身だけです。 

レッスン 197
私が得ることができるのは私の感謝だけです。 

レッスン 198
私の有罪判決だけが私を傷つけます。 

レッスン 199
私は肉体ではありません。私は自由です。 

レッスン 200
「神」の安らぎ以外に安らぎはありません。

レッスン201~220
 レッスン181~200までの復習


前日に見つけたパンドラの箱。

開けたとしたらどうしよう。何をしたらいいだろう。
まずは文章を作ってみようか・・・
分かるだろうか。理解できないと思う。
すぐにわからなくてもいい。
ただ伝える文章を書いてみよう。

今この時の自分の意識を見ると、完全に自力です。
何かをしようと頭で考えてます。
それではうまくいかないのですが、
案の定、この日パンドラの箱を開けることはできませんでした。


パンドラの箱のことを考えるとドキドキと落ち着かないので、
平安を取り戻すためにワークを進めました。


レッスン196を読んでいると、ふと閃光が頭に落ちた感じがしました。

私は神から怒られると信じていたんだ。
「違うぞ!また間違ったぞ!間違ったら罰が来るぞ!」
そう言われると。。

これこそ分離の考えです。
神から分離してしまったという罪悪感から来る怖れです。
これが根本にあって、様々なことを問題だと捉えてきてたんです

愛されてない。私をほっとかないで!
失敗した。ちゃんとやらないといけないのに。
断れない。断ったら離れていくかもしれない。

この思考体系に幼い頃から苦しんできました。

これはもういらない。
Ruru(聖霊)、取り去って!掃除お願い!
私にはもうどうしようもないから、Ruru助けて!

そして聖霊がそのうち取り去ってくれると信頼して、
静けさの中目を閉じて座っていると、
まもなく暖かな安心感がやってきました。

私は神に怒られると信じていたけれど、
神が私に向けて常に送り続けていたのは、
この肉体では認識しきれないほどの
大きな大きな愛だけだったのです。


私を苦しめていたのは私自身の信念でした。
分離したと信じたこと。
それによって持った罪悪感。
その罪悪感に気づきたくないために、
自我が差し出してくる目に見えるものだけを信じてきたのです。

そして自分が持った怖れを見たくないために、
周囲を怖れたり、批判したりしていたのです。
周囲に怖れや批判することを見つければ、安心なのです。
自分を批判する暇がなくなるからです。

○○って変だよね。
あれは間違ってるよね。
○○してるんだって〜。
ひどいよね。
○○しないように○○しなくちゃ。
対応が遅いよね。


自分が罪悪感を持っていることは、自分では気づけません。
その罪悪感はいろいろな”問題”やネガティブに感じる出来事として目の前に現れます。

情報なのか出来事なのか人なのか。
”問題”が起きた時、人や状況を責めずに
その”問題”は自分の中の何を見せているんだろうと、自分の内側を見ます。

例えば、私はグイグイくる人が苦手でした。
ガサツな人が苦手でした。
そういう人は嫌だなと思っていました。
それが私に見せてくれていたことは、
本当は私が人に気を使わずにグイグイいきたい、ということでした。
でもきっと幼い頃に注意されたか、どこかで失敗したかしたのでしょう。
そういうことをすることはいけないと信じていたのです。

何かを否定するのは神の見方ではありません。
このことの大元にあるのは罪悪感です。
でも罪悪感がどこにあるかは分かりません。
それが分かるのは聖霊だけです。
だから聖霊にお願いします。

この罪悪感を取り去ってください。

そして聖霊が取り去ってくれることを信頼するのです。

神の見方で、聖霊の見方で見せてください。


罪悪感はいろんな形で出現します。
何度も何度も出てきます。
これも?これも?これもーーー???

やっているといつまでやらなければならないのかと思います。

この肉体にいる間はずっとやるものだそうです。
でもだんだん上手くなるのでしょう。


本当の私たちは肉体でもなく、分離したこともありません。
足りないものもなく、満たされていないこともありません。
神とみんなとひとつです。
襲ってくるものも敵もありません。

神の家は愛に満ちていて、完全に安らげるところなのです。


この世界は幻想ですが、
自分が見ないようにしている罪悪感を見せてくれます。
その罪悪感を取り去っていくことで、
神の家に帰ることができるのです。
安心と幸せに満ちた場所です。


Ruru

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