ベイスターズ応援歴②

カンナバーロ。

「ベイスターズ応援歴」というタイトルの記事にそぐわない名前を書きました。イタリアの元プロサッカー選手の名前です。

イタリア代表アッズーリのキャプテンを務めたことがあるDF。身長175センチくらいで世界的なセンターバックとしては小柄です。ヘディングでの競り合いなど身長が低いと不利な世界で高い身体能力とちょっとしたズル賢さ(マリーシア)を発揮し、一流選手たちのボールを次々にはじき返していました。

私が彼を発見したのは1998年。そうベイスターズが優勝した年のW杯フランス大会でした。ぶつかり合いの中でのバランス感覚と相手を弾き返す強靭さに心を掴まれたのです。その勢いのままに他国の試合も見続け、サッカーという競技にどっぷりとのめりこむことなりました。

最初の出会いがカンナバーロ氏でありアッズーリだったのでセリエAから見るようになります。本当に何の知識もなかったので「VIVA!CALCIO」という漫画を買って読み漁りました。スカパーと契約しセリエAだけでなく、スペインのリーガ、イングランドのプレミア、その他時々、フランスやオランダ、ポルトガルのサッカーも観るほどにのめりこみました。ビデオ、ハードディスクと時代の変遷とともに媒体は変わるものの毎週沢山の試合を録画して週に10試合近くは見ていたと思います。雑誌もたくさん買い、各チームが英語サイトを提供していればそれも読みました。

大学時代の友人に同じくサッカーにハマった子がいました。彼女と毎週みた試合について語ったりメールしあったりした時間はとても楽しかったです。

2004年、友人と二人でポルトガルで開催されたヨーロッパ選手権を観に行きました。

(ここまで書いてベイスターズファンになったのは2004年だったと思い直しました。)

ポルトガルで観た試合は2試合。観光も兼ねての一週間程度の旅行でした。

色彩豊かなスタジアムには喧騒と熱狂的なファンが溢れ、プレー中は歓声やブーイングが鳴り止みません。友人と二人で感動しました。なんて素晴らしいのだろう、と。サッカーはテレビ画面で見て語り合い楽しんでいました。しかし現地でオラがチームを応援できる素晴らしさに触れ少々羨ましく感じたのです。

私たちは帰国後もサッカーを見続けますが、ポルトガルで感じた「現地でオラがチームを応援できる」ことへの憧憬を忘れられずにいました。

それならば日本で現地観戦しよう!

そういって二人で決断し向かった先が横浜スタジアムの外野スタンドだったのです。

2004年。ベイスターズは既に1998年の輝きを失い、弱いチームとして横浜スタジアムでプレイしていました。それでも外野席にいるファンは応援歌を一所懸命歌い、時に罵声を時に歓声を上げて選手たちを見守っていました。応援初心者の私たちはチャンステーマの手拍子すらままなりません。それでも周囲のファンは我々に優しく得点すればハイタッチの輪に巻き込んでくれました。なんて楽しいのだろう。勿論ポルトガルで目の当たりにした熱狂に比べるべくもないのですが、自分たちのチームを同志と一緒に応援しているという高揚感は筆舌しがたいものがありました。

しかしその年はまだサッカーがメインでした。

(続く)

*デスマス調にするか現在迷い中で前回と語尾が違っております。

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