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「アスリート」のイメージが変わった話。

初めまして。星野奈津子です。写真では左です。スポーツのWebおよびSNS運用に興味があり、この春からLink Sportsでインターンを始めました。

いつも、「みんなが知らないスポーツの世界を届ける」でおなじみ「AZrena」で記事を書いております。

その編集長である竹中玲央奈さんに声をかけていただいて、2019年9月3日、初めて取材に同行しました。

インタビューをする前日。私は緊張して眠れませんでした。運動は好きだけど、体育の成績はあまりよくなかった私にとって、アスリートは雲の上の存在。「こんな私が会って良いのか?」という漠然とした不安を持ったまま、当日を迎えました。
でも、実際にお会いしたら、そんな心配はいらなかったことが分かりました。質問を丁寧に聞いてくださり、答えてくださって、多くのことを学びました。
「インタビューって、楽しいんだ!」ということを知りました。
そして「私にもアスリートの方との共通点がある」とと言うことを学びました。同じ人間だから当たり前かもしれませんが、雲の上とまで思っていた方と共通点があるのは嬉しかったです。
それでは、当日の写真を見ながら書き進めて行きたいと思います。


一人目は、シッティング・バレーの田澤 隼選手。

青森で育ち、リンゴの収穫などを手伝っていた、というお話を伺いました。個人的には「東京に出てきて、高い建物が多くて視界が狭いと思った」というエピソードが印象的でした。私自身、徳島でお米を育てている曾祖父の家に帰省して帰ってくる度に同じことを感じていたので。
今回取材をした選手の中で、唯一怪我をする前とした後で同じスポーツをされているのが田澤選手ということで、共通点と違いを聞くことができ、勉強になりました。シッティングバレーは車いすに乗って、というわけではなく文字通り「座って」行う競技ということで、試合を観てみたいと興味がわきました。


2人目は、車いすバスケの小田島理恵選手。

明るい笑顔が印象的でした。小田島選手のことは事前に調べている中で、1番お話ししてみたい!と思っていたので、逆に変な緊張をしました。が、終始楽しくお話をさせていただいて、緊張がほぐれました。「生きていればなんとかなる」と言うことをおっしゃっていたのですが、何度も聞いてきた言葉だけど、とても心に残りました。
小田島さんはフリースローを決めるまで2年かかったと話していたのですが、普通2年も出来なかったらあきらめてしまうと思い、努力すること、続けることの大切さを感じることが出来ました。また、障がいの度合いによって選手毎にクラス分けされており、コート上のポイントが14.0点を超えてはいけない、というルールがあることを初めて知りました。障がいの重い選手にも出場の機会を平等に作る、というのはパラスポーツならではだと思いました。


3人目は、車いすテニスの菅野浩二選手。

最初の写真の方です。
「健常者とも一緒にスポーツを楽しみたい」という考え方が素敵だと思いました。車いすテニスは、他のスポーツよりも健常者と楽しみやすいということを知り、私はテニス未経験者なのですが、やってみたいと思うようになりました。
そして、パラスポーツの良さを「距離感」だとも話してくださいました。普通の選手よりも近くで会うことが出来る、直接コミュニケーションを取れる、身近に感じられる、という良さがあると。


そんなこんなで、私の初めての取材は終わりました。
取材が終わって最初にしたのは、今回携わった方の試合のスケジュールを調べること。そして、その日を手帳にマークし、予定を空けるということでした。今まであまり知らなかったパラスポーツに興味を持ったのは、その人達のストーリーを知れたからだと思います。

以上、私が今まで抱いていた「アスリート」という存在を少し身近に感じることが出来るようになった、というお話でした。

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