受け止めること
LGBTについて。
こんにちは。 LINK編集部の酒井です。
4人の記者がそれぞれの思いを語るクローバートーク、今回のテーマは #LGBT です。
実は、今回のテーマ、なかなか書けませんでした。
自分の中で伝えたい思いがはっきりするまでに時間がかかったのもそうですが、
LGBTについて発言すること自体が少し怖かったからだと思います。
なぜ怖かったか。
それは、LGBTの当事者ではない私には、LGBTに当たる人たちの思いや願いを頭だけでなく心の底から理解し、表現することはできないと思ったからです。
大学でLGBTについての講義を受講したり、LGBTの当事者にお会いしたりと、本人たちが抱えた葛藤や苦悩、いじめによる苦しみを聞いたこともあります。
体は女性として生まれたけど心は男性、だったり、街のトイレで男女どちらに入ったらいいのかわからずトイレに行くことを我慢したり、そういう実体験を聞くと、そういう経験がない私には、想像の範囲でしか理解できないなと。
わかった気にはなっても、わかりきれないというか。LGBTの方の価値観をわかった気になって発言するのも失礼だと思ったり。
そんなこんなで、なかなか書けずにいました。
ただ、LGBTに関するいろんなニュースや記事を読むにつれて、1つこの記事で伝えたいテーマが一つはっきりしました
それは、「一旦受け止めてみる」ことの大切さです。
自分とは異なる存在やモノを初めから拒否するのではなく、まずはもっと知ろうとしてみる、そんな人もいると受け止めてみる。それが大事なんじゃないでしょうか。
受け入れることは難しくても、受け止めてみることって意識次第なのでは?と思います。
少し前に、政治家がLGBTは生産性がないだとか差別的発言をしてましたよね
あの方の記事も拝見しましたが、なんだか強烈に嫌な気持ちになりました。
なぜなら、あまりに個人的な価値観をさも常識であるかのように発信し、LGBTを完全否定しているように感じられたからです。
それにあまりよく知らないことを批判する、もはや知ろうともしないで批判するなんて論外です
それがあまりにも酷く、そして腹立たしく、不快でした
あの方がLGBTに対して、「たくさんLGBTについて勉強もして、話も聞いてみたけれど、やっぱり私はなんとなく感覚的に、受け入れられない」と個人的な意見として言っているほうが、私は納得できます。
むしろそういう風に思う人って、多かれ少なかれいると思うし、個人の気持ちとしてそう思うのは仕方ないところだと思うのです
個人の価値観は自由=差別的発言も自由
と言いたいのではなく、物事に対する感じ方は本人以外にはコントロールできないから仕方ないということです。
自分と違う意見やバックグランドを持つ人を排除するのではなく、「そんな人もいるよなあ」と思ってみるだけでも何か変わるのではないかと。
これはLGBTに限らず、です
皆が同じように振る舞わなければならないとの思いから没個性化しているように感じる今の社会でこそ、全部を受け入れられなくても、一旦“受け止めてみる“ことが大事だと思います
では、一旦受け止めるようになるにはどうしたらいいのか?
LGBTに関して言えば、まず、当事者の声をたくさん聴いてみること。
知識を持つこと。
これからの時代では、小学校の道徳や保健の授業でも学ぶのも必須だと思います。
そして身の回りの小さな差別や偏見をなくしていくこと。
例えば、学生間でも頻繁に見ますが、手の甲を頬の横に添えながらオネエと表現することをからかい文句として使うこと。
面白がってオカマやレズという言葉を言い合うこと。
女の子だからおとなしくいなさい、男の子だから泣いたら恥ずかしい といった言い方をしないこと。
私自身、いろんな記事を読む中で、無意識にLGBT差別や偏見に当たるような言動をしていたなと気付いたんです
身の回りの小さなところからまずは自分が気をつけてみること
それが少しずつ広がっていくと大きな流れにつながると思います。
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