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もう日本の錦織じゃなくて世界のニシコーリなんだろうなという話

日本では深夜、しかも地上波ではなくWOWOWでの放映ということで見逃した人も多かったと思うが、USオープンで錦織圭選手がランキング世界一のノヴァク・ジョコヴィッチ選手を破り、決勝戦進出という快挙を成し遂げた。アメリカのメディアでは、日本人で初めてどころか「アジア人で初グランドスラム決勝へ」と褒め称えられている。

私もテニスは好きなスポーツなのでずっと観戦してきたし、錦織選手の活躍は素晴らしいことだと感動しているが、天の邪鬼なもので、ここはやっぱり日本のファンに冷や水を浴びせるようなことを敢えて書いておきたい、と。日本人のUSオープン4強進出は1918年の熊谷一弥選手以来、ということで、テニスって日本でもポピュラーなスポーツなのに、なんで今までいなかったんだろうね、というツイートに返信したのがきっかけ。

これまでのコラムからも察しがつくだろうが、私は根性論でやる団体競技が死ぬほど嫌い。学生だった時代にそんな団体スポーツの部活でしごきを受けた経験から、個人でできるスポーツがいいと考えてちょっとテニスもやったことがあるのだが、日本の学校でテニス部に入るとまず最初は球拾いと素振りなんだよね。バカバカしくてすぐに辞めた。テニスはプライベートでやるのがいちばん楽しい。

全員が同じ下積みからコツコツやらなければいけない、というのは扱いやすい社会人を育てるための全体主義教育の一環としては有効なのだろうが、これでは世界に通用するプロのテニス選手は育たない。錦織選手が13歳でテニス留学をした、というのは勇気ある、そして正しい決断だったのだなと思う。

聞くところによると松岡修造さんが海外に行くことを勧めたそうだ。小学生ぐらいの頃からその才能を見抜いたとしても、そんな歳で家を出て異国へ行けとはおいそれと言えるものではないだろう。その辺りのことはこれから根掘り葉掘り、日本のスポーツ新聞が伝えてくれるだろうから詳細を待ちたい。もちろんそれにはお金もかかるので出資者も必要になる。錦織選手の場合、盛田正明テニス・ファンドの名前は外せない。

錦織選手が留学したのはフロリダのIMGアカデミーで(今アクセスするとトップのスライドで卒業生ケイが歴史にその名を刻んだというバナーが!)、ここはテニスだけでなく、野球やバスケから、ゴルフや陸上まで、世界の名だたる指導者を集めた総合スポーツ学校。一方、私が以前住んでいたロングアイランドにはジョン・マッケンローやヴィタス・ゲルライティスを育てたテニス学校があり、そこで弟がしばらくレッスンを受けていたので、プロを目指す子どもたちを取り巻く環境を少し垣間見ることができた。

世界のトップレベルで戦える選手になるには、少しでも早い時期から才能を見極め、テニスの技術を指導するコーチはもちろんのこと、基礎体力をベストコンディションに調整するトレーナー、ギャラやコマーシャル出演料を取り決めるエージェントや、精神面をサポートするセラピスト、食生活を管理する栄養士など、チームとして選手を支えることが必要なのだ。残念ながら、今の日本ではそういう体制は作れない。

もちろん理由はそれだけではなく、全体的に日本人は体格的にどうしても欧米勢に負けてしまうので、サーブもパワーに欠けてしまうし、ガツガツとお肉を食べている人たちと違ってスタミナが続かない、みたいな要素もあるかもしれない。でもそれだと、体格さえよければ良いのかということになるけど、そうではないことを錦織選手が証明しているし。

錦織選手も海外勢と比べると体は決して大きい方ではないが、その分、機動力があって小回りが効くし、ベースラインからのラリーは誰よりも安定していて、特にバックハンドのコントロールが体が安定していて見事。それとやっぱり、これは試合中でも解説者に指摘されていたが、相手のボールがどこに来るかを見極めて動く力が抜きんでいる。勘が良い、と言ってしまうとちょっと違うし、こっちでは (dynamic) visual acuityって呼んでるけど、日本語だとなんだろ? 何しろ相手のサーブが時速120マイルで飛んでくるので、打ってから動いたんじゃ間に合わないわけ。

暑いのが苦手な私は、もうこの数年フラッシングに足を運んで観戦することはなく、もっぱらテレビで応援していたが、USオープンの解説チームも観客も錦織選手に好意的だった。どこの国出身ということはあまり関係なくて、特にUSオープンの観客は、ド派手なアクションやテニスウェアでも気にしないし(ウィンブルドンはけっこうウルサイ)、まだ知られていない選手がベテランに立ち向かうunderdogを応援するのが好き(クレーコートの全仏オープンは番狂わせが当たり前だと思っているのでそこまで熱くならないw)。またこの時期はニューヨークも残暑の季節でもあるので、選手も観客も消耗戦w 長いラリーがあると拍手喝采。錦織選手の8強戦はフルセットで夜中の2時半までというタイ記録を作ったが、けっこう最後まで残っている人も多かった。

そして4強からはケーブル局のESPNに代わって3大ネットワークのひとつCBSで全国放映されるのだが、解説チームもリラックスムードだった。よくリツイートされていたのは、錦織選手のコーチであるマイケル・チャンのこんなエピソード。

そしてめでたくジョコビッチに打ち勝ったニシコーリ選手は試合後のインタビューでも堂々と応じ、おそらく控え室では日本のマスコミに取り囲まれたことだろうが、私が感動したのは、その次のフェデラー/チリッチ戦の時に、錦織選手がCBSの放送ブースに来て、おしゃべりしていったこと。対戦直後のインタビューでは「勝ったときどんな気持ちだったか」を中心に、質問も限られていて、どんな選手も同じようなことを答えるものだけれど、ブースにやってくるときは、相手がどんな質問をしてくるかもわからない。(まぁ、日本のゲスいマスコミと違ってカノジョの話とか、普段の私生活のことみたいなプライバシーに土足で踏み込むようなことはないけど。)臨機応変なコミュニケーション力が問われる。

錦織選手は、USオープン1ヶ月前に右足親指の嚢胞除去手術のリハビリのことを聞かれ、流ちょうな英語で、マイケル・チャンに「2〜3試合やってみればかえって調子出るんじゃない?」と言われてギリギリで出場を決めたこと、足が治るまで椅子に座ってトレーニングしていたことなどを答え、その飄々とした受け答えにベテランアナウンサーのメレディス・ヴィエラが「マジで〜?」と大笑いしていた。

もし彼が通訳を必要とするようだったら、放送ブースには呼ばれなかっただろうし、こんな風に彼のチャーミングな人柄がアメリカ中の視聴者に届くこともなかっただろう。今回のUSオープン前に錦織選手が知られていたのは、ランキングが低いのに自国で稼いでいる選手としてだったぐらい。それがUSAトゥデイ紙のオンライン版で「ニシコーリについて9つのトリビア」みたいなコラムまで載るようになった。

月曜夜の優勝決定戦(日本では火曜日朝)で錦織選手が勝とうと勝つまいと、もう彼は「世界のニシコーリ」になったということなんだろうな。この後、日本に行って一通りマスコミのインタビューに答え、USオープンの優勝金より高いギャラでいくつもコマーシャルを撮影した後、錦織選手はまたアメリカに戻ってトレーニングを続ける。彼が「応援してくれた日本の皆さん」と言うとき、それは彼の家族や友人のことであって、「ニッポン、チャチャチャ!」などと騒ぐあやかりニワカ錦織ファンではないと思う。

日本国内では錦織選手は育てられない。そして、やはり英語ができることは世界でさらにいっそう彼の人気を支える武器となるのだ。才能のある人はいても、日本のシステムはそういう人が世界で通用するように育てられない。それはテニスに限らず、他のスポーツでも似たようなものだろう。そしておそらくは科学研究やアートの分野でも。みーんな同じように努力する、そこから出る杭は打つ、やればできる根性論といったものが阻んでいるのだ。

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