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日本でオーディオブックやポッドキャストが流行らないワケがわかった気がした

米英ではオーディオブックがそのうちEブックと同じぐらいのシェアになりそうなくらい急成長しているって伝えると半信半疑なリアクションされる。iTunesのプログラムリスト見ればわかると思うんだけど、日本のポッドキャストってほんと貧困、何もないよね…とは思ってたさ。

しかも、オーディオブックを聞いてみることもしなくて「やっぱ紙で読む方が好き」とか断言してる人の多いこと。アタシなんて『ハリポタ』オーディオ版聞いたら読書人生、変わっちゃったよ? 聞きたいポッドキャストありすぎて、積ん読どころか、積んキャスト、時間なさすぎて時々泣く泣く消してるよ?

耳でも本を楽しめる、知識を得られるってことなんだけど?

なんでこんなに温度差があるんだろう? スマートスピーカーが普及しないのと同じ理由なんだろうか?

で、なんでかなー?って考えてみたんだけど、これがまた日本らしいと言うか、こういう文化のどこが美しいのかねぇ?ってな事案になってきたので、書いてスッキリしたい。

日本にしばらくいて感じるのが、日常的(恒常的)にけっこううるさい音声が流れてても気にならない鈍感さ。といってもわからないだろうから具体的に思いついたところでいうと、屋内飼いの犬猫の様子をユーチューブに上げているのを見ると、日本の家だとたいてい後ろに(誰もみてないと思しき)テレビが点いている音が入っているとか、野球を見に行くと今試合で起こっていることとは関係なくメリハリ無くずーっと音を出して応援しているとか、誰も周りで聞いていないのにずっと駅前の広場で演説している市議会の候補者とか、バラエティー番組でどう考えても面白くないジョークでも客が反応しているような音を流すとか、電車に乗っているだけなのに、次の駅とか降りる準備しろとかどっちのドアが開くとか車内のマナーはこうだとかずっと流れているアナウンスとか、誰も歌詞なんてわかんないだろうに2ヶ月間ずっとお店で流れ続ける英語のクリスマスソングとか…

とにかく、ダラダラとしたノイズとしての音声に鈍感すぎる。 

こういうの、耳障りじゃないの? 

だから君たち、人がスピーチしている場でも平気で寝ちゃえるんだね。授業とか、結婚式とか、朝礼とか。

クリスマスソングに関しては、自分がどうしても英語の歌詞までわかっちゃうもんだから、いちいち反応して「お前んち、母ちゃんがサンタみたいなジジイと浮気してるの目撃して楽しいんか?」とか、「いくら外が寒いからってセクハラとしか思えないやりとりをデュエットで歌って嬉しいんか?」(←実際にこういう場面を想像するしかない歌詞のクリスマスソングがある)ってイラつくのは私だけかい!と思ってたけど、日本語でも同じ。

人が何か話している声が聞こえたら、その内容って耳に入ってくるよね? そして思考がそれに反応するよね? しないの? 

で、わかったんだけど。スルーできてるらしい。

だったらそりゃ、オーディオブックなんて聞いても頭に入ってこないよね。ポッドキャストで知らなかったことがわかる楽しさがわかんないよね。聞き流すだけで英語なんて上達しないよね? ほんとうに聞き流しちゃうんだからさ。

たまに呼ばれてアメリカの出版の話、しにいくけどさ。カネもらって情報提供するからには、こっちもなるべくたくさんのことを知ってもらおうと早口になったりもするけどさ、時間足りなくなっちゃって後半とばしたりするけどさ、大勢だとたまに寝てるオヤジがいるんだよ。だったら来んなよ!って思うんだけど、これって私の声は聞こえてるけど、内容が頭に入ってないってことだよね。

スピーチに関する限りでいうと、日本の文化はぶっちゃけ貧しいってことじゃないんかね? 伝える、つまりストーリーテリングとしてかなり有効な手段なんだけどな、耳から聞こえてくる声って。


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最近は東京ベースの文芸エージェント。日本の著作品を欧米マーケットに売り込むべく孤軍奮闘中。Hon.jpにて海外の出版ニュースやコラムを提供中。ツイッター垢は@lyngualiinaで密かに復活。