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親子である意味

いまだに母とぶつかります。
けっこういい歳なのに。
母はもっといい歳なのに…笑

親子なのでお互い気に入らない点をやり過ごすことができず険悪になります。
原因はいたってくだらないことです。
私は母を図々しいと言い、母は私を冷たいと感じる…  どっちもどっちです。笑

イライラを引きずって悪態をつき始めると沼落ちてしまうので、心を平安に戻すべく、
“なぜ私たちは親子なのか?”、と思考をシフトさせるようにしています。

縁があった、
この親子の縁に意味がある、
理由がある。
この親のもとで人生をスタートさせる必要があった。

そう考えます。

私の人生に必要不可欠な要素を備えるため、今後役立つアイテムを得るために今日の親子喧嘩があるのね… なんてね。
壮大なスケールで思考を拡大させると少し穏やかになってきます。

生きていると思い通りにならないことのほうが多いもの。生まれてくることも死ぬことも自由ではないので、私達は与えられた境遇に対して無意識下で諦めや受け入れを行っているのですね。思考を拡大させると頭に上った血が降りてくる気がします。

本当にそういうことだと思うのです。
自分の親である理由があると思います。

私の行っている占いは、生年月日から様々なことを読みときます。備えられた気質、才能、これらが生年月日に隠されています。
同じ日にうまれた人はたくさんいますが、同じ人間はいません。75億人いれば75億通りの個性が備わっています。だから一つ一つの命には存在の意味があります。

意味をもって誕生したとなれば、決まった人生工程があるものと考えます。
身近な人とのいざこざもその一部。
失敗や間違いや不遇なこともその一部です。

それらの思い通りにいかない関係性から何か拾うべきものがあるのだと思います。

私達親子のようなくだらない衝突ではなく、深刻な親子関係もあります。一筋縄ではいかず時間を要するかもしれません。しかし、きっと、深刻であるほど深く大きな意味があるのでしょう。

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