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治らない癖はなおるのか?

お金にだらしない、とか時間にルーズとか、家が片づけられない、とか治らない癖の話をしますね。

子どもならまだしも大人になっても相変わらずな人っていますよね。
『あの人はもう治らないよ』といわれたり
『これは性分だ』と片づけたりします。

性分、という言葉を調べてみると【生まれ持った性質】とあります。

つまり、”あの人はもともと管理能力がないからお金にだらしないのだ”というわけです。

ちょっとだけ私の話をしますが、
私は多動なので突発的な行動をとったり
何の脈波のない話を突然することがあります。
また、物事を順序だてて処理するとか
一つ一つをこなすことがとても苦手です。

それとは対照的に、一つのことしかできないという特徴をお持ちの方もいらっしゃいますよね。

これらは脳の特徴によるものらしいので”性分”だと思うのですが
これらに当てはまらない人のケースは後天的なわけで、
性分っていえるのかな?、と思うわけです。

いくら時間にルーズといっても人生を左右するような期日ならば守ると思いますし、

お金にだらしないといっても、もらえるお金に関してはしっかりしてたりするものです。

だから、やむを得ずそうなってるわけではない、と。

では、なぜ一向に治らない(治さない)のかというと…、

“治すつもりがないから”、ですよね。笑

なんで治すつもりがないのか?、というと
そのことを”重要だ”と捉えてないから
では、。?

時間を守る人は
時間を守らなければ人に迷惑がかかる、
守れないと気持ちが悪い、と思うから、
重要事項だから、
しっかり守るんです。

遅刻なんて大したことじゃない、
10分くらいどうってことない、と思ってる人は
時間を守ることの優先順位が低いわけで
だから結果として守れない。

これは、お金にだらしない人も、
家を片付けられない人も、みんな同じ。

それらに関して”重要”だと捉えてないのです。

特別なこと以外は優先順位が低くなるわけで
後回しの状態になりますもんね。

でも、きっと今まで、
その癖によって、人を怒らせちゃったり、
失敗して手痛い目に遭ってきたことがあると思うのです。

それでも長い年月治せずにきたということは
”性分”もあるかもしれないし、
そうでなければ、それは、
ルーズとか、だらしないとかではなく
価値観の違いなのだと思います。

重用だと思ってることが違う。
大切に感じるものが違う。

そこが違っている以上、
根底が違う以上は仕方ない、ということになります。

時間を守りたい人と、
数分で目くじら立てないでよ!、という人は合わないし、

お金に律儀な人はどんぶり勘定な人とは合わない。

価値観の相違は平行線をたどる関係性。
癖は治せるけど、
価値観を変えるのは容易ではありません。

折り合いを見つける方向で解決策を探るのが楽かもしれませんね。


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