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クォーターライフクライシス?は?


先週の日曜日は自由気ままに過ごした。天気も悪かったし。
「傲慢と善良」を読んで、テレビ見て、野球中継見て、常田大希の混沌東京を見た。

なんてお気楽日曜日。
こんな日曜日も悪くないじゃん、土曜日一日中出かけたし。



傲慢と善良を読んだ。
展開が気になりすぎて1日で読み切った。
(各所で聞いてるんだけど「自転しながら公転する」 に似てない?)

自分の傲慢さと善良さには思い当たる節があったので、ページをめくるごとに自己肯定感が下がっていった。

別に人のことを見下しているつもりはないけれど、自己愛や顕示欲が高いこと。「ありのままの自分を認めてほしい」という傲慢さ。
だからnoteを書いてるんだよな。自分を見てほしいという欲求が底にないと書かない。じゃないとこんな駄文を世に出さない。デジタルタトゥーそのものだ。

自分でこれをやりたいと決めて頑張ったことってこの24年間あったかな。全くないわけではないけど、そんなに思いつかないのもまた事実。
何となく決められたレールの上を走ってきた。
善良さ、か。



常田大希の混沌東京も観た。
芸術肌の天才型、そういえば全てが丸く収まる気がするし、あのビジュアルも加味すると天は二物を与えちゃってるな〜、別世界。
そうやって納得できる気がする。

でも、自分の道がある人、周りも巻き込んでその道を極める人、それでお金を稼ぐ人。
間違いなく憧れの存在。というか憧れ通り越して嫉妬。
私にはなんで出来ないんだ、なんでそういう道が見つけられないんだ。なにかダメだったんだ。どうしたらいんだ。

別世界と整理できないのは、私は自分の可能性を"まだ"信じてるから?
私はOne of the greatest unknownsではないのか、そうありたい。



今年、25歳になる。社会人3年目。
なんだか、学生時代に感じてた将来への希望とか、自分の秘められた可能性とか、そういうのって意外と明確には無いんだなっていうことに気がつきはじめた。
残念ながら私は凡人だった。


クォーターライフクライシス

人並みの人生をすごして、「よくある」幸せを追って生きていくのも悪くないな。でも、本当にそれでいいんだっけ。こんな惰性で残りの60年くらいの人生を歩むんだっけ。このまま死んでも後悔しないんだっけ。


この年齢で漠然とした不安を抱えることをクォーターライフクライシスと言うらしい。
自分探しの旅に出ちゃうな。いっそ宇宙人の力で連れ出してくれ。


人と比べるのを辞めるのが1番の解決策とGoogleが教えてくれた。
ありのままの自分を愛せと???
人への憧れと趣味がどうしても切り離せない。

主人公に感情移入せずに小説は読めないし、歌声の先を想像せずに表面的に音楽も聴けない。

余計なお世話だ。



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