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ドタバタの人生

数年前からmid-life crisisだ。

コロナ禍と重なり内省的な生活に有無を言わさず突入して自分も周囲も否応なく現実を見据えなければならなかったせいもあるか。

ともあれ、子どもたちは一応成人し、仕事も一応あり、生活はできるようではあり、そんなことが有難いとは思えない絶望感と閉塞感と無力感にズブズブと飲み込まれるかのような数年を過ごして来た。

それに気づかず生きてきたドタバタ人生だったからだとも言える。「もし」コロナ感染が広がらずに居たならば、これほどの八方塞がりに気づくことはなかった、いや少なくとももう少し後だったかもしれない。

ドタバタ人生を少し語る。

同世代の多くの女性はいわゆるバブル期を知っている。勉強し、資格や技術を身に付ける事でこれからもっと女性だからといって差別されることもなく自由に社会人として選択肢があり続けるように錯覚していた。波に乗って学生としては自己肯定感と達成感に満ちていた側にいたのだと思う。経済的にも全体的に上向きだった時代、留学生として大学から大学院にも行かせてもらい、将来的な可能性を疑うこともなしに20代を過ごした。しかし、だ。親世代も周囲も別に騙すつもりもなかっただろうが、ハッキリこれは妄想であった。

就職して数年はまだ外資系企業に勤めたから賃金差も特になかったような気がする。結婚して就労時間帯を見直し始めたあたりから雲行きはどんどん怪しくなり、妊娠で体調が不安定になってまざまざと気づいた。会社は当たり前だがいつもそこに居る労働者は必要だが、人間らしい生活を求める自己中心なヤカラは途端に戦力外と烙印を押されるのだ。

そこからは坂道を転げ落ちるどころか、ナイアガラの滝に流されていくササブネのようなドタバタが10年以上続く。子育てはワンオペの極みだし、仕事をしながら子育てするのはどちらをしていても罪悪感と中途半端ないらいらを抱えざるを得ない。加えて自己弁護するならば、自分の適性は母業ではないのはいくら頑張っても日々明らかで非合理と理不尽と感性で成り立つ幼児たちを前に茫然と崩れ落ちる人間になるなんて予想さえしていなかった。出産を選んだ以上は母になる。生物的に母になれば自然に母らしくなれるのかと誤解していた。想像力の欠如である。問題解決には専門家の手を借りようと動けば動くほど、自分は母として失格でダメだと人格否定されているように感じて自分を責め続けた。それでもまだ自分はこの挫折を修行の一部のように捉えていた。今なら言える。何にでも好きになるにはまず知らなければならない。学校だけでうまくやって来た女子の成れの果ては子育ての実態を知らずに来たのだ。知らないものは好きにはならない。好きにならなければ楽しめるはずもない。孔子の教え通り。

さらに自分を打ちのめしたのは配偶者だった。オットは大家族7人兄弟の出身で、小さな子の扱いに慣れている。計画的なつもりの自分は、このオットならばアドバイスも実際的なヘルプも得られるだろうと考えていた。タイヘンに小賢しい戦略であり大きな誤解だった。大家族の人たちはこどもはみんな勝手に自然に育つという環境で生きてきたわけで、だから子育てが死にそうに大変な私の現状など理解の外にあるのだった。二つ目の想像力欠如。何不自由なく過ごして来たら不自由なことがふりかかるのも当たり前だ。

習うより慣れろ…とはよく言ったもので、いろいろジタバタしつつもやっぱりそれなりに頑張る自分は3人の子供を私立一貫校に入れた。後で気づくが私立校に入ることなど何の意味もないとこの時点ではまだ実感してはいない。しかしそれはまた別の話題。一言付け加えるならば私立受験はそれなりにタイヘンで決してこうすればああなるみたいな事はない。あれほどこだわって来た仕事は手放した。もうその後にどうなるかなど考える余裕もなかった。そして子どもたちが本当に健康に産まれて来てくれたことにはひたすら感謝しかない。

兎にも角にもあの苦手な母しごとが3割がた済んだと思った自分はセカンドキャリアを求めた。あまり選択肢はなかった。40代になってすぐくらいだ。当然である。しかし子供が帰る時間に不在なのは避けたかった。自宅開講英語教室に落ちついたわけだが、すぐに気づいた。仕事の方が断然楽しい。家庭の中で工夫してうまくやっていく人もいるだろうし、それはそれで大尊敬の対象に間違いない。しかし始まりと終わりがあり、目的や手法はある程度確立されていて、頑張りには報酬と達成感が伴う。もちろん小さな問題もある。やりたいこととやるべきことのどうしようもないズレ。なんの仕事にもたぶん少しはあるズレ。それでも自分が中心に教室運営をしていく中でかなりやりたい放題させていただきつつも、ある程度は仕事として成り立つか?のように思えて来た矢先に双方の両親が立て続けに体調を崩して行った。なんとも呆れるが、出産、子育て、家族の病気など人間として当たり前に起こるはずの人生イベントが仕事現場ではいわゆるバグで、あー休まなきゃ、あー行かなきゃ、と大切な親の一大事を仕事の一部みたいに処理している自分にほとほと嫌気がさした。数回爆発した。主に家族に当たった。コロナ禍と重なったりもした。そこからがcrisisの序章である。

辞めれば?

オットが言った。何を?


仕事しなくちゃならないわけじゃないでしょ?

嫌。

ぜったい嫌。


でもその時の自分の現状も嫌。

そこへまたオット。

イヤイヤばかりじゃだめだよ。文句ばかり言っても解決しないよ。


正論だが、私はまた人格否定されたと感じた。私は20年働いた。母としてはダメだったけどこの仕事は頑張ってきた。簡単に手放すことなどできない。

いや待て。
それほど大切か?

つい最近も20年ほとんどペイメントが変わらないことを不思議に、いやはっきり言う。不満に思ったばかりだ。

儲けが必要か?少し違う。
そんな折、南青山にアイロニーというオシャレな花屋さんがあるのだが、その代表谷口氏の発信を見てなるほどと思わされた。

以下略
jardin du i`llony


豊かさ と 誇り


贅沢なことだろうか?
いや少なくとも今自分が抱えるこの閉塞感と挫折感の成り立ちはこの二つの欠如に起因するように思う。

私は花屋さんではないが、子どもたちと日常を過ごしている中でもちろん英語の単語やらフレーズやらをインプットしたり繋げたりするわけだが、ただ訳して覚えなさいよーと叫んでノートに書かせて丸つけしておしまいだとすれば無意味で不毛だと思っている。単語を組み合わせたりしてバリエーションを見せ、材料の選び方を示したり、その時自分が持っているもので何が一番的確なプレゼンテーションとして提供できるのかを一緒に考えたりそれをすることで何ができるのか。何を表現したいのか。どんな楽しいことがあるのか。そこから可能性や未来にどう繋がるのか想像してワクワクして欲しい。少なくともワクワクしている私を見て呆れたり何かを受け止めて欲しい。世の中疲れたオトナばかりじゃないと思って欲しい。だから簡単にはやめられない。だけど今の就労状況はお世辞にも決して豊かでも誇り高くもない。なんとかするのは自分でもあり、自分だけでもない。しかしジタバタすることで単細胞な自分は一応の閉塞感からは解放されて元気に過ごせるではないか。

そんなことで今一周まわったところだ。人生がいろいろなフェーズを迎える。ピンチな時仕事が邪魔になる、あるいは人生の大切な人間的イベントが仕事の邪魔になる、だから辞めるのか?今の社会的仕組みの中ではそれがやむを得ない状況にもなるだろう。だけどそんな仕事ばかりじゃよくない。濃淡付けて自分らしく「豊かさ」と「誇り」を持てるように生きること。それは難しくてもその方向性に向かってもがくことが私のwell-being.

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