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ひまわり

なぜこの映画の話をよく耳にするのかなと思いながら過ごして居た最近。ポスターをよく読んだら一面のひまわりのシーンはウクライナで撮影したものだという。

ウクライナはこの先も戦いを続けるのだろうか。名誉や自由のない平穏よりは戦いを選ぶという考え方は日本では受け入れ難いのかもしれない。しかし遥か昔まだ在米中の学生の頃に「反戦」という概念を別の国から来た学生同士で語る機会があり、徹底的に戦いそのものを避けようという感覚を持っていた私に対して見事なくらいそれ以外の全員がtoo naiveと些か憐れむような表情で反対した。naiveという言葉に対する意識すら日本では繊細、感受性が高いみたいな若干のポジティブイメージがあるがその時に痛感した。はっきり言えば子どもじみた感情的な発言だと断罪されたのだ。

とはいえ、ひまわり畑が一面に風に戦ぐあのシーン。(余談だがそよぐは戦と書く。単が盾、または扇という意があり、そこから慄き震える意味をあらわすらしい)美しく哀しく儚い。美しいと同時に強く逞しいソフィアローレンがさらに切ない。女性は戦時下において強くならざるを得ない。男性も戦わなければならない。ならないのか?本当にか?今だにnaiveを抜けない。抜けたくもない。

本当に多くの犠牲者を出す。直接に手を下す場面が武器の変化により減ってしまい政治家の中に殺人をおかしているという意識が薄れているようにおもえてならない。戦争には反対する。

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