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fay ender ⑲【本格ファンタジー小説】第三章 太古の記憶「3-3 怪鳥ラミア①」


第三章 太古の記憶

3-3 怪鳥ラミア①

( 前作 「 3-2 期待という名の世迷い言② 」 のつづき )

 
 地底にいるので時間の流れがまるで掴めない。
 オイスから食料と小さな毛布を受け取って、今が夜であることがわかった。
 緞帳の隙間から、もう一つさっと布の塊を渡された。薄汚れてはいるが上等な生地だ。
 見覚えがあると思いながらフィオランが布を広げると、隅で膝を抱えていたベヒルが叫び声をあげてすっ飛んできた。

「ぼ、僕の僧服…!」

 手渡される前にフィオランの手からひったくり、もう誰にも奪い取られまいというようにぐしゃぐしゃに抱きしめた。

「虫は残らず駆除したよ。厄介な卵をほじくり出すのに骨が折れたがね」

 分厚い緞帳の向こうからの嗄れ声に、ベヒルはぎょっと目を剥き、慌てて布地を調べ出した。

「あ、穴は開けてないだろうね? 僧服はとても高価なんだ。一介の司祭では二年に一度支給されるかどうかというくらい出し渋られていて、自分で誂えるとなると浄財を一年分蓄えてもとても手が届かない」

「おいおい、せっかく浄化してくれた上に、命の恩人に対して失礼だろう。先に礼くらい言えよ」

 相変わらず周りが見えていない性格にフィオランは呆れた。
 この分だと助けられた時も文句ばかり並べ立てて、命を救われたことに対しては感謝も述べていないだろう。
 フィオランに言われてベヒルは我に返ったらしく、態度を改めて長々と礼を述べた。
 緞帳の向こう側はすでに小びとの影も形もない。フィオランは隙間からそれを確認して、おかしさを堪えるのにひと苦労した。
 エリサたちが差し入れを床へ広げて食事の支度をしている。ヴィーは先ほどふらりと部屋から出て行ってしまった。
 誰も自分に注目をしていない隙に、フィオランはそっと緞帳を潜り抜けた。

 オイスに連れてこられた道筋を思い出しながら通路を進んでいると、背後から突然声をかけられた。
 振り向くと、捜し人が不機嫌そうに自分を見上げている。

「おまえさんに目隠しはしないが、ウロチョロされるのは歓迎しないよ」

「あんたを追っかけてきたんだよ」

 オイスは意外そうに小さな眼を瞬いた。

「ベヒルのことだ。あいつの態度に気を悪くしないでやってくれ。あいつはあんた方がしてくれたことにとても感謝している。ただ、いつも順序を間違えちまうんだ」

「人間の聖職者は文句と非難を教えとしているのかと思ったよ」

「まあ、そう言わんでくれ。あいつは信心深くて戒律をよく守る所は聖職者として立派なんだろうが、人間としてはまだまだ半人前なんだ」

 偉そうに言ったが、自分も半人前なのはこの際横へ置いておく。
 
「ただ、悪い人間じゃない。だからあんたたちも助けたんだろう?」

 オイスは答える代わりに、人差し指を立ててクイクイッと合図を送った。
背が高い自分を見上げるのに疲れたのだろうかと思い、フィオランは腰を折り曲げて顔を近づけた。
 更に指で招かれ、もっと近寄る。すると鼻息がかかるくらいの至近距離で顔じゅうを丹念に眺め回された。

 オイスがふんと鼻息をつくたびに、もじゃもじゃの髭がゆらゆらとはためいて皮膚をなぶる。くすぐったいというより、気色悪さで尻がむずがゆくなってきたがじっと耐えた。
 やがて満足したのかゆっくりと顔を離され、フィオランは長い息を吐いた。

「ひょっとして、ドワーフに骨相を見てもらったのかな」

「そんなものではないわい」

 オイスは腕を組み、考え込むように身体を横向けた。そしてちらりと流し目を送る。

「昔知った顔と共通点はあるかと探していただけだ」

 ぴくりとフィオランの眉が動いた。

「……見つかったかい?」

 フィオランの声は耳に届いていないらしく、オイスは自分の考えに夢中になってしきりと頭を振っていた。

「似ても似つかん。わっしの記憶にある顔はもっと甘ったるくて、色っぽいツラをしとったがなあ。さてさて」

「男に使う形容じゃないぜ……」

 思わず顔が引きつってしまう。

「一体誰と比べていたんだ?」

「昔知った顔と言っただろう? ヴィーがここへ人間をつれてくるのはもうずっとなかった」

 この地底で暮らすドワーフたちが言う『ずっと』とは、どれほどの時を指すものか。
 だが、フィオランはそれ以上触れず、別の質問をした。

「ひとつ不思議に思うことがあるんだが、俺だけ特別扱いなのはなぜだ?」

 問われて、オイスは心外そうに目を見張った。

「特別扱いしたつもりは露ほどもないが?」

「他三人は監禁状態だろうが。俺だって一応れっきとした人間なんだがな。あんた方には別の生き物にでも見えるのか?」

「手足二本ずつに頭が一つの大きなヒト種族のオスだな」

 へんてこな表現をされたが、とりあえず聞き流した。

「それを聞いて安心したぜ。じゃあ、俺だけ大手を振って闊歩を許されている理由は? 初対面で大歓迎されるほど、人に好かれる人間じゃないっていう自覚はあるんだが」

「おまえさんが大好きで招待したわけではないというのは事実さな」

 冗談を皮肉で返され、またもや脳裏にメリュウ婆さんの顔がよぎってしまった。

「おまえさんには資格があるから許している」

 唐突に言われてフィオランは身を乗り出した。

「資格っていうのはなんだ?」

 そんなことを言われて疑問に感じるのは当然のことなのだが、オイスはだんまりを決め込んだ。
 気を引くようなことを言って後を続けないのは実に癪に障るやり方だが、聞きたいことはまだ他にもある。
 フィオランは諦めて、話題を変えた。

「あんたはヴィーをなぜ『さすらい人』と呼ぶんだ?」
 
 さすがにオイスはうんざりとしたようで、顎髭をゴシゴシとしごき出した。

「また『なぜ』かい。質問するのはいつだって簡単さな」

 オイスには答える気がないようだった。このひねくれ小びとから言葉を引き出すには、会話の仕方を工夫しなければならないらしい。

「人の事より自分の事だよ、ひよこくん。自分がどこの何者か知ることが先じゃないのかい?」

「生憎、自分の出自はさっき判明した。心配いらねえ」

「本当にそうかい?」

 よもや聞き返されるとは思わなかった。会話を立ち聞きでもしていたのか?
 大体自分の何を知っていると反発を覚えた。

「それでおまえさんが満足しているのならいいがなあ」

 どういう意味だ? だが、ドキリとした。

 あやふやだった自分の出自にはっきり答えを示され、理性の上では一応納得した。
 その確証を得るためにラダーンへ赴くのだ。
 だが、どこかもやがかかっているようにすっきりしない部分があった。それへ意識を向けると胸がざわつくので、なるだけ見ないよう蓋をしていたのだ。
 満足していないというのなら、出自が明らかになってもなお、一向に気分が晴れないまさにその部分だろう。
 
 それがなぜわかったのか。
 言い当てられたことにフィオランは内心動揺した。

「言っておくが、わっしは心は読めないよ」

 フィオランが考えたことを表情で読み、先手を打ってきた。

「ただ、わっしは知っているだけだ。おまえさんよりは大分長く生きているんでね」

 それだけ言って歩き去ろうとするオイスを呼び止め、ヴィーの行方を尋ねた。それについてはあっさりと答えてくれた。

「治療中だよ。大広間の噴水を越えた所にいる」

 行っても構わないかと伺いを立ててみると、オイスは首を竦めただけで行ってしまった。



 案内通りに小噴水を越えた先まで行ってみると、大きな観音式扉がどっしりと通路の先に現れた。やはり材質は石で、精巧な模様を刻まれ、ぴかぴかに磨き上げられている。
 真鍮の輪がついた取っ手を引いてみると、何なりと軽く扉が開いたので少し拍子抜けした。

 扉を開けた途端、もわっと熱気が体中に纏い付いてきた。
 その熱気の中に微量だが、鉄が錆びついたような匂いを嗅ぎ取った。
 先には石段が下へ大きく曲線を描いて伸びている。
 一見したところ、階下までかなり深さがあるようだった。
 暗くて見えないが、時折こぽこぽと水が湧き出るような音が聞こえてくる。
 これはもしやと閃き、フィオランは期待に胸を膨らませて長い石段を下っていった。

 階下まで降りると、そこにはほぼ予想していた光景が広がっていた。
 剥き出しの岩肌をそのままに残した大浴場だ。
 壁の至る所に明かりが灯されているお陰で、広い内部をほぼ隈なく見渡すことができた。

 予想を遥かに超えたものがそこにあった。
 それはまだ若いながらも人よりは数多く大陸各地の景観を目にしてきたフィオランが、一度も見たことがない自然の造形物であった。

 赤茶色の壁面という壁面に、長い年月をかけて溶けた鉱物がひだとなって、岩の幕が流れ落ちるように張り付いている。
 ちらちらと照らす灯りを受ける度にひだの色合いを変えていく様は、ほんのり艶めかしく、それもあって上気した褐色の肌を連想してしまった。

 壁の表面を滝が流れて凍り付いたような巨大な岩の造形物もある。
 よく見ると、その天然の装飾を施された表面を湯が流れ落ちている。
 その岩の裳裾を濡らし、豊かな湯をなみなみと張った大温泉。

 湯に溶かされた鉱石が堆積して造られたと思われるあぜが、流れ或いは湧き出る湯を堰き止める役割を果たしてきたようで、人の手で作り出すことは到底不可能な、奇妙でそれでいて美しい曲線を形作っていた。

 ドワーフたちの地下宮殿とはまた別の感動に襲われ、フィオランはうっとりと立ち尽くした。
 我ながら、自分はこんなに感激屋だったかと自問自答する。
 どうもサジェットを出立してからを境に、感覚が激変したように思えてならない。
 
 ごぼりと底から新しい湯が沸き上がったのを見て、フィオランは我慢が出来なくなった。
 靴を脱ぎ、そっと足先を湯の中に入れてみる。かなり熱いが、入れなくはない湯温だった。
 誰もいないことを幸いに、来ているものを乱暴にかなぐり捨てた。
 あっという間に裸になり、象牙のような肌のあぜを跨ごうとしたとき、岩の滝の奥から人が出てきた。

 暗がりから突然姿を現され、フィオランはぎょっと足を引っ込める。
 実に間抜けな恰好になってしまったが、相手を見て更に仰天する。

 ヴィーが濡れた黒髪を絞りながら現れたのだ。
 温泉があることにはしゃぎすぎて、彼女の存在をすっかり忘れ果てていたのだ。
 フィオランは見てる者が気の毒になるくらい度を失い、慌てふためいた。

「こ、こ、これは、その――」

 後が続かず、魚のように口をぱくぱくさせながら身体をよじる闖入者へ、ヴィーは少し目を丸くしただけで出迎えた。
 
「ああ、おまえも来たのか」

 この平然とした態度に、フィオランは打撃を受けた。
 まるで廊下で出くわしたかのような気軽な挨拶だ。しかも素っ裸を晒しておいて平気な顔をしている。隠しもしない。

 見事な形の乳房から目を逸らそうにも、構わず近づいてくるので嫌でも目に入り、混乱しながらも一応男として深く傷ついた。

「く、来るな、馬鹿」

 そう口走って、熱い湯の中へ一気に飛び込んだ。
 びりびりと突き刺す痛みが全身を襲い、一瞬息が止まりそうになった。
 湯から飛び出そうとしたが、すでに目の前にヴィーが来てしまっている以上、全身を披露するわけにはいかない。
 頭がクラクラしながら、湯の中にじっと踏みとどまった。

「そこはかなり高温の場所だぞ。鉄分も強いうえに、どういうわけか電磁気なるものが発生しているので、湯に浸かりすぎると身体に毒だ」

 デンジキという意味不明なものはあえて無視をして、フィオランはそうかとだけ答えた。
 ヴィーはというと、挙動不審な相手へのおかしさを堪えているような中途半端な笑みを浮かべている。
 そして、隣りへ身体を沈めてきたので、心臓が暴走しだした。
 こんなところで―⁉
 まだ出来ていない心の準備を早急に開始する。

「お、おい、湯の中はちょっと―」

「すまないが、そこを譲ってくれないか? おまえが座っているところが一番の要所なんだ。この場所に流れる電磁気の湯がえらく怪我に効く。だが、長く当たるのは逆効果なので、奥にある低温の湯と交互に入っているんだ」

 それを聞いて、フィオランは大人しく場所を譲った。
 勘違いに、湯の熱さから来るものとはまた別の熱さが頬に昇った。

「どうした。何をそんなにビクビクしている?」

「わからないのか? 困ってるんだよ」

 不思議そうに眼を覗き込まれ、慌てて目を反対方向へ逸らした。

 気を張っていないと、視線が勝手に茶色の湯に沈んだ身体を眺めまわそうとするのだ。
 
 形のいい長い脚が気楽に組まれ、自分の方へ伸ばされている。
 その脚の付け根へと辿ると、魅惑的な茂みが見え隠れし、豊かに張った腰から細くくびれた胴と実に魅力的な曲線を描き、その上には見事な形の丸い膨らみが湯の中で揺らいでいた。
 これほどの素晴らしい身体はついぞお目にかかったことがない。大陸中のどこを探しても見つからないだろう。
 あるとしたら、芸術家が造り上げた女神像くらいだ。
 フィオランは過去歴代の女たちを走馬灯のように思い出し、比べ、そして不埒なことを考えた。

「困る? お互い全裸だからか? わたしは困っていないから気にするな」

 この言葉にフィオランは今度こそ深く傷ついた。
 あえて触れないようにしていたが、圧死から免れた直後の接吻も何とも思っていないのだろう。

 危うく命を落としかけた興奮状態で衝動的にしたこととはいえ、あの時心が深く繋がったと思ったのだ。

 自分だけの妄想だったのか?
 肝心なその後のヴィーといえば、平静を装うとか忘れたふりをしているというより、それを会話の一環のうちと捉えているようだった。
 つまり水を飲むとかものを食べるとか、息を吸って吐くくらいの自然な行為にはわざわざ注意を払わないという事だろう。

 それに気づいたとき、おくびにも態度には出さなかったとはいえ、我ながら哀れに思うほど虚脱感を味わった。
 悪さをたくさんして生きてきたが、フィオランは意外にも少し純情なところがあった。

「俺が! 困っているんだよ。俺にも恥じらう権利くらいあるだろ?」

「それは失礼したな。何も見ていないから安心しろ。男の身体には興味がないから」

 何とも言えない表情で黙りこくったフィオランへ、ヴィーは言葉が足りなかったかと珍しく気遣って補足した。

「誤解するなよ? わたしは性別というものに興味がないんだ。男であるとか女であるとか、そういった性の区分けはわたしには何の意味も感じられない。だから、裸のおまえを見て目の色を変えないからといって気分を害さないでほしい」

「別にその気になってほしいわけじゃない」

 このあけすけな物言いはなんとかならないのか、とフィオランは恨みがましく思って即座に否定した。

「あんたにはわからないらしいが、男にだって恥じらいというものがあるんだ。それも心構えができていないときの不意打ちほど勘弁してもらいたいものはない」

「それは悪いことをしたな」

 素直に謝られ、今度は面食らってしまった。

「いや……」

 それ以上話すこともなくなり、互いにしばらく湯へ身を任せた。

 
~次作 「 3-3 怪鳥ラミア② 」 へつづく

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