創作はつづく

「創作」は個性とか感情をそのまま表現するってのが定説だし、でも批評家エリオットの没個性論なんて、その常識を覆すもので困惑するけど彼のその提唱もそれはそれで納得してしまう。

創り手の個性がでてるのが芸術というのはその通りなんだけど、創作過程における個性表現の立場って案外違うところにある。

人間新しいことを生み出すのに、全て自分の頭の中から絞り出せるわけなく、既にあるものを化合させて新しいものを生み出す。だからゼロから何かを生み出すって苦しいっすよね。

既にこの世界や自分の人生の知見の中に存在するものを掛け合わせて、加工して、作品を生み出すわけだけど、その工程のセンスこそ個性なのかもしれない。
たしかに個性とか感情をそのまま表現すると作品として格が下がる場合が多い気がする。日本の俳句なんかも比喩的に心理を表現していて、全てを語らない。写真が上手い(と僕が個人的に思う)フォトグラファーの方もやっぱり全てを語らないし、ある程度は作品として表現をしてそれ以降は受け取り手に任せる。

そんでもって力みすぎたり変な力が入ったらやっぱり自身にとって不完全な作品ができてしまうと思ってて、主張の抑制とかある程度の自己犠牲とか考えすぎないことってのはいい作品を創る上で大事なんだと思う。

感情をぶちまける作品も在り方として僕は美しいと思うけれど。

結局個性の出し方もセンスなのでセンスごしごし磨いていきます~すごい人たちとか大切な人たちに置いていかれないようにね^^

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