とおくへ



騒がしい街だと思う。ただ、とぼとぼと歩いていると、おじいちゃんになったとき僕はどこでなにしてるだろうと気になった。70年くらい先だろうか。今いる街も人も変わっているのかな。咄嗟に僕は目の前の景色を動画に収めた。この動画すら、いつなくなるかわからないのに。この写真すらいつかは。街も友達も親も自分もいつか変わっていくし、いつかなくなってしまう。そもそも自分が生きた形跡すらなくなってしまうのかもしれない。だけどそのとき僕はずっと遠くにいるんだと思う。谷川俊太郎さんの詩「とおく」にもあるように、ずっと遠くへ。授業で小学生が大切に折った折り紙とか、バイト先の店長が徹夜で作った接客マニュアルとか、立派なあの建物とか、自分の正解とか、人生の正しさとか、誰かが決めた哲学とか、あの子との思い出とか、一生懸命育ててくれた親の愛情とか、僕もみんなも、いつかは消えていくんだと思うと、すごく寂しくなった。なんのために生きているんだろうと思った。だけどそんなのはどうでもいいんだとも思った。顔も知らない未来の人たちが生まれるずっと前に、確かに僕らは生きていた。確かなのはその事実と、人の愛情だけ。ずっと遠くへ。いける気がする。

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