こんなことなら、もっと森を駆けていればよかった。

「思考し過ぎないようにしよう」という思考を
している渦中は、どうも脳の働きがうまくいかない。まるで世界がキュビズムに見える様で、抽象的で思い出せない概念だけが脳内を多分巡っている。ムダなものを削ぎ落として、必要最低限の思考だけをする方法がどうも思い出せず、まるでそのプロセスだけが自分の脳内からぽっかり無くなった動物のようでひどく辟易する。思考停止状態で過ぎていく日々に投げやりになろうと、きっとどうでもいい毎日では無いんだろうし、グラデーションの中にある楽観主義と悲観主義の観念的な塩梅がどうも難しい。

今日スーパーで買ったマスカットジュースがおいしかった。作業机で脳内悶々としながら食べたバナナもおいしかった。何かを食べて「おいしい」と感じる、当たり前でありがたくて、なんでもない簡単な思考だけをして生きていく人間にわたしはなれなかった。散文的な人たちへの皮肉でも
なんでもなく、自分自身の思考の扱いはほんとうにむずかしいなと、そうつくづく思ってるという話。

むかしの自分に戻れないのなら、新しい自分になればいいと、あるアーティストの方が言っていてそれも良いなと思った。けれどやっぱりわたしは、夢中でカブトムシを捕まえる為だけに森を奔走していた、それだけを考えておけばよかった、あの頃に戻りたい。こんなことなら、もっと森をかけていればよかった。血眼でカブトムシを探していればよかった。なんて考える訳ない、あの頃に。

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