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逆行・弱肉強食             

〜こんな未来でどうですか〜

春奈はニンジンを一本、冷蔵庫から取り出した。
 重さが等しくなるよう、慎重に測りを使って30グラムに切る。一切れだけ取り置くと、それを細い千切りにする。
 「ねえ、もう夕飯でしょう」
息子の尚文が、キッチンに入ってきて、春菜の手元を覗き込む。
「そうよ、お父さんにも、テーブルに着くように言ってちょうだい」
「めんどくせえなあ。どうせ二口で終わっちゃうのに」
「そんなことないでしょ。ニンジンチップも作ってあげてるじゃない。だいたい、そんなに食べる必要がないって、いつも言ってるでしょう。人前でお腹が空いたなんて言わないでね。自己コントロールの成績が落ちますよ」
そう言いながら、春奈は、ネズミ色に丸まったタンパク質団子一個と、パリパリと乾燥した糖質シリアル10グラムを乗せた皿を、ダイニングのそれぞれの席に置く。

 いつもの習慣で、夫の紳助はテレビに行き、七時のニュースを点けてから席に着く。それを待つようにして、尚文は「いただきますっ」と叫び、皿の上の食料を平らげて、テーブルの真ん中に置かれたニンジンに手を伸ばす。

 ニュース画面では、パラパラと音を立てながら下降するヘリコプターから、網が投げられ、森へ逃げようとする人々を生け捕りにしている。
「また前世人が捕まったか」
「すげー、男は185センチ、女は162センチもあるって。かっけー」
「かっこ良くなんかありませんよ。みんながそんなに大きくてごらん、食べ物がいくらあったって足りやしない」
「母さんの言う通りだ。おまえ、平均化のチェックで、肥満度3だったらしいな。肥満度5になったらコントロール室に行くんだぞ。わかってるのか」
「コントロール室に行ったら寝てるだけだって、友達が言ってたもん。行ってもいいや」
「いいわけないだろう。あと5年も我慢すれば、17~18で成長が止まる。そのとき身長100センチ以下だったら、少しは太っていい。それまでは気を付けろ」
「俺、もう89センチあるよ」
「男は100センチまで、女は95センチまでと決まっている。体が小さければ、食糧も資源も少なくて済む。家だって小さくて足りるんだ。自然との共存だって習わなかったのか」
「あなた、また抵抗する前世人への縮小薬の散布だわ」
と、テレビに目を向けたまま、春奈が言う。
「尚文、見てみろ。一度でかくなってから縮小薬を使っても、頭でっかちが治らないんだ。あんな風になったらみっともないだろう。きちんと縮小薬を子供の時から飲んで、食べる量をコントロールすれば、綺麗な縮小形になれるんだぞ」
「そんなことよりお父さん、俺、昨日サッカーでゴール二つ決めたよ」
「なんだと。それでどう感じた?」
「なんか、スゲーって言うか、快感」
「馬鹿、ゴールは三試合で一回決めれば平均なんだ。お前はIQ98なんだから、その平均値に添えるよう、全力を出したりしちゃいけない」
「そうですよ」と、春奈も頷く。
「平均を上回ろうとするのは、より強くて大きいものに価値を見出すことだ。それは弱肉強食につながって、危険なんだよ」
 親の言うことは聞き流して、尚文は「ごちそうさま」と、自分の部屋へ行ってしまった。

 「あのな、春奈」
二人きりになると、少し言いづらそうに、紳助が話し出した。
「同僚の木村が部長に格下げしたんだが…」
「まあ、じゃあ、あの人のIQは110以上ってこと?イヤだわ。平均を逸脱したら、部長職以上になって、奴隷のように働くのは当然ね」
「そうだな。ただ、どう考えても俺の方が仕事が早いって。俺も、周囲も、そう感じてる」
「変なこと言わないで、あなたのIQは102。高卒の係長クラスで平均なの。課長になってもダメよ」
「そうなんだが、木村が最後に言った言葉が忘れられないんだ」
「なんて?」
「『俺は本気を出して、ちからいっぱい働いてみたい、だから、部長職になっても構わない』って言ったんだ。その言葉が頭を離れない」
「まあ、あなたったら。それでなくても、大学なんか出て、平均を逸脱してるのに。そんなふうに感じるんなら、この標準偏差薬を飲んでおいてください」
春奈はブルーの錠剤が入った瓶を、紳助に渡した。
「確かにそうだな」
うなづくと、紳助は、瓶から二粒を出して、口に入れた。
「そんなことを言い出すのは、『中高年あるある』だそうよ。気にしちゃダメ」
そう言って立ち上がると、春奈は食卓を片づけた。


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