アンスクーラー新学年のご挨拶に学校へ行く。


先日新学年のご挨拶に学校へ行った。

4年生になった長女、
6歳と2歳の妹
午前中から遊びにきてた娘と同じく自由な登校選択をしている5年生の友だちと私、
総勢5人でお昼休み中の学校へ。

校長室へ行き校長先生と自由で主体的な学びや、
貴重な子ども時代を喜びで生きることを大人がどうサポートしていくかを対話した。

その中で数日前から読んでいる、
校則とテストと宿題を廃止した公立の麹町中学校、
工藤校長の本の話しをしたら、

「私も持ってます、
今年度はこの先生の考え方もいくつか取り入れて、
職員にもコピーして配りました。」

と校長室の本棚から2冊の本を出してくれた。

画像1


工藤先生の本、
そして長女が小学校1年生の時に私が読んで、
公立の小学校でこんなことができるんだ!と興奮した『「みんなの学校」が教えてくれたこと』という本。

実は当時興奮のあまり在籍していた前校長先生にこの本を購入してギフトしたら、
あきらかに迷惑そうな顔をされた、笑。

その後ある心境の変化がキッカケで、
学校を変えようという微かな希望(野望)を手放し、
娘と私がただ心地よいこと、
今こうしたいと感じることを選択し続けていたらこんなことが起きてきている、なう。

お昼休み後の授業が図工だというので、
総勢5人わらわらと教室へ向かう、

(実は教室に入るのは小学校1年生の1学期で学校行くのをやめて以来初めて)

クラスのみんなもごく自然に喜んで向かい入れてくれて、
進んで娘の机を用意してくれたり、
持ってないのは貸すからね、
と声をかけてくれた。

担任の先生は一緒にきた学年が違う友だちにも、
「学年なんて関係ないから」
と、
更に6歳の次女までも一緒に授業に参加させてくれた。
まるでトトロの世界。

ここで私は2歳児が騒ぎ出したので校庭へ退散、
校長先生や用務員さんとお話を楽しんだあと教室へ戻ると、

長女と次女と5年生のお友だちの3人だけが机ではなく床で絵を描いている、

じ、自由すぎる、

こ、これ大丈夫ですか?

と心でつぶやき、

横にいる校長先生を見たら、

「自由でいいですね〜」
とニコニコ嬉しそうに子ども達を見ていた。

心地よい風が吹いた。

ここ最近の学校とのお付き合いの中で、
嬉しさと共にいつも湧き上がってきていたのは、
「学校なのに」という枕詞。

学校なのにこんなに自由でいいんですか?
学校なのにありのままの娘を受け入れてくれて嬉しい!
学校なのにこんなのありですか?
学校なのに、、、

と喜び続け、
はたと気づいた、

私どんだけ”学校”に対しての思い込みを持ってるんだろ?

学校とひとくくりにすると見えなくなるけど、
結局そこにいるのは”人”、

キオクや思い込みを置いて、
保護者という役柄を置いて、
先生や校長先生という役柄ではないあなたを見て感じて、



といういつも新しい地点から、
自然体でいたら、
軽やかで心地よい対話が生まれた。

こうして学校が変化していく中でも、

長女はこれからも変わらず、
学校に行く、行かない、
ではなく、
彼女の心が赴くままに選択していくだろう。

私は、
彼女を想ってくれる親以外の大人の存在が社会の中にある喜びを味わい、
彼女でしか体験でき得ない学校という場所での体験をおもしろく見て、
子どもたちが喜びで生きられる場所づくりを共に語り合える仲間が教育の現場にできたことを嬉しく思ってる。

4月、
新しい学年の始まりや入学で、
いろんな感情が湧き上がってる親も少なくないと思う、

そんな人たちへの何かのサポートになればというキモチも込めて、
たぶん一般的ではない学校との関わりをしてる私たち親子の出来事を言葉にしてみたよ。

今日もみんながハッピーでありますように。
ハッピーでない今日も楽しめますように。

#ホームスリング
#ナチュラルラーニング
#登校選択
#役割を置いて対話する

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?