対価。「無駄な抵抗」を観て②

わたしのカフェは、黒字実績のないまま4年半で閉店となった。不動産屋には半年前に退出を告げなくてはならない。ジャニーさんには同じタイミングで閉店をお知らせした(電話番号からショートメールで)。その数日後、撮影中にジャニーさんから電話がかかってきた。※わたしの本業は広告制作
「ママ?今、テレビの人に代わるから。
 ねぇちょっと!ママが出たから代わって!」
テレビの人?なんだろう。ジャニーさんから直接電話が来ているだけで十分に動揺しているのに。

「喜多川社長にはいつもお世話になっております。テレビ朝日の〇〇です。Jr.の番組(CS)を御社のカフェから生中継できないかとのご相談をいただき、一度ロケハンをさせてもらえますか」。
わたしのカフェで撮影?そんな事ができるのだろうか?
結果はNG。カメラを引きずれるような広い店ではないので、当然の結果だ。おそらく、ジャニーさんは閉店のメールを読んで心を配ってくださったのだ。
Jr.の番組をカフェから放送したら、ファンで溢れ、閉店を避けられるのではないか、と。実際不動産屋にはもう撤退を申し出ていたし、どうなるものでもなかったのだが、わたしはその時も今も、ジャニーさんの優しさに感謝している。

閉店までの半年間も、Jr.たちはジャニーさんのクレジットカードを持ち、彼らだけでカフェに来ていた。うちで食事をしておいで、とジャニーさんが言ったのだろう。ジャニーさんに、とパスタを持って帰ることもあった。
ある日、店の前をジャニーさんが通りかかった。立ち止まって店の方を見ている。お元気ですか?と声をかけた。お返事は寂しいものだった。
「元気じゃないのよ。だからお店に寄れないの」。
それが最後だった。それから2年後、ジャニーさんは逝ってしまった。

2023年の現在、ジャニーさんのした「悪いことの方」が大旋風となっている。「無駄な抵抗」を観ながら、わたしはジャニーさんのニュースに耳を塞ぎ、目をつぶろうとする自分を思った。大きな駅。大勢の人がごった返し、過去と現在、そして未来を変えようとするが、幸せたちは逃げようとしているあの駅を、わたしは素通りする電車でありたいのに、窓から見てしまう乗客。事故を恐れる、弱い者なのだろうか。わたしは戸惑っているだけなんだ。「良いこと」の方しかされていないから。加害者側でも被害者側でもない人たちが「(個人の)正しい意見」として発信するものにさえ、戸惑っている。どちら側にとっても対価は大きく、損得レベルで介入している第三者はハジキ出されてくれ、と祈っている。

神は自分に似せて人間を創ったというが、創り方を悪魔は見ていたのだろう。ゆえに、紙一重の現実がここにある。

対価=人魚姫は足をもらう代わりに言葉をなくし、王子が別の人を選んだために海の泡になってしまった。姉たちが魔女から貰ったナイフで王子を刺せば、その返り血で人魚に戻れたのに。ナイフを海に投げ、血のように赤く色を変えた海に飛び込んで、泡になった。

<エピローグ>
ずっと観続けている前川さんの作品で、初めて「このままではわからない何か」が心と頭に残る「無駄な抵抗」。観劇の翌日「オディプス王」をAmazonで購入した。昨日自宅に届いたらしい。わたしが戻るのは明日だから、週末に読む。脚本や演出(特に安井さん)について、反芻しながらまた思う事があるだろう。



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