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幸せの蓋の裏についてる

悲しみを舐めて安心する 

この歌詞を噛み締めるほど、ああ、分かるなぁと思う。私自身がそういう風に生きてきた気がするのだ。

幸せなことばかり続くと、その生活をきっと疑いたくなるだろう。反動も怖い。少しの悲しみがあれば、良い感じに生活していけそうな気がする。


この歌詞の、「悲しみ」という部分とは少し離れるけれど、私にとってクリープハイプの曲は、普段の生活という瓶の、その蓋の裏に必ず居てくれて、落ち込んだ時、辛い時、悲しい時、怒った時、そして、幸せな時、嬉しい時、そんな人生の色々な時に(つまり毎日)安心をくれる。私にとってのクリープハイプは安定剤のようなものだ。

普段生活をしていて感じる違和感だったり、自分では言い表せない気持ちを、クリープハイプの曲の中に見つけて、その度にほっとすることが出来ている。ああ、ここにあったんだと。


今では私の生活の中で無くてはならない存在となったクリープハイプ。そんなクリープハイプと出会ったのは2012年末頃だったと思う。

いわゆる「邦楽ロックバンド」を良く聴くようになった高校時代。最初はクリープハイプ以外のバンドが好きで、クリープハイプの名前を知ったのは、邦楽ロックバンドの情報を集めるために始めたTwitterだった。

Twitterで繋がった人のプロフィール欄の幾つかに、
クリープハイプ/     クリープ/
の文字。単純にどんな音楽をつくるバンドなのか気になった。検索してみると、尖っているとか、声が独特だとか、つぶやかれていた。良いつぶやきだけでなく、悪いつぶやきも目についた。良い事しか書かれていない店のレビューを嘘くさいと感じることの反対で、悪い評価も受けている彼らは、表面だけじゃ無いんだなと思った。そして、そんな彼らの音楽を自分の耳で確かめたくなったのだ。

気になってすぐにTSUTAYAにCDを借りに行った。今はサブスク等で気軽に聴くことができるが、当時は気になるバンドがいれば、その都度TSUTAYA等レンタルショップで借りて、ipodに落として聴いていた。不便だったけれど、自分が聴きたい4枚を選ぶあの時間は大好きだったのを覚えている。

その時借りたのは、リリースされて少し経った頃の「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」
ipodに音源を落とし、再生ボタンを押す。

アルバムのトラックを一周する。
正直びっくりしたのを覚えている。無性に惹きつけられたから。

なんだこの声は、今まで聴いたことがない声だ。なんだこの歌詞は、こんな正直で荒々しい歌詞を書くバンドは初めてだ。と思った。特に、独特な声なのだけれど、嫌いじゃなくて、癖になる感じが不思議だった。

漢字一言で表すと、「驚」。

私に「驚」をもたらした彼らを好きになることにそう時間はかからなかった。 
その日から、毎日クリープハイプの曲を聴くようになった。


自分の人生の中で、今考えても、もう頑張れないと思うほど追い詰められた時期があった。まだ高校生だったのだけれど、クリープハイプはもちろんその時も、私の支えになってくれた。人生で一番辛かった時期に一緒にいてくれたバンドと、今でも一緒に居られている事が嬉しい。本当にありがとうございます。

その後の人生もちょいちょい、辛いことはあったのだけれど、クリープハイプの曲を聴くと少し心が和らいだ。いつも側に居てくれる、お守りのような存在になっていた。
クリープハイプの曲は、励ましてくれるというよりは、一緒に怒ったり泣いたりしてくれる曲で、私の気持ちととても合っていた。

ピンサロ嬢になった事なんてないのに、イノチミジカシコイセヨオトメを聴いていると、自分の気持ちと同じだと思えた。不思議な感覚だった。
明日には変われるやろか
明日には笑えるやろか
何かあると、自然とこの歌詞が頭に浮かんでくる。

初めて買ったクリープハイプのCDは「憂、燦々」
私にとって大切な曲のひとつで、何度も何度も聴いた。

そこから10年。今でも好きでいられているバンドは、クリープハイプだけになった。


ライブについても振り返りたい。
初めて行ったワンマンライブは、2014年の「八枚目でやっと!九枚目でもっと!」。例の移籍の曲がとても印象的で、こんな事まで言っちゃうんだ、正直すぎるけれど、かっこいいと思ったのを覚えている。その時一緒に行った友達とは、もう疎遠になってしまったけれど、まだクリープハイプを好きなんだろうか。今でも元気ですか?

その次にワンマンライブに行ったのは、2017年の秘宝館。その間フェスでみる等だけだった…のかな?結構間が空いてしまっている。初めてクリープハイプをライブハウスの小さめの箱で見た。今までと違って、クリープハイプとの距離がすごく近くて、会場の熱もダイレクトに伝わってくる熱いライブだったのを覚えている。メンバーの顔がはっきり見えた。尾崎さんがマイクなしで叫ぶ言葉も、難なく聞き取ることができた。
ライブも楽しすぎてあっという間だった。語彙力が足りないのだけれど、ステージ上のクリープハイプはとんでもなくかっこよかった。


こんな風に、私とクリープハイプとの関係は付かず離れずだった。けれど、CDは買っていたし、再生ボタンを押すとクリープハイプはそこに居た。だから、この10年、クリープハイプが完全に私の中から消えたことはない。ライブに行けなくても、私の普段の生活の、蓋の裏を覗くと必ずそこに居て、私を安心させてくれた。


社会人になって、なんとか生きていた。そして、なんとかクソみたいな会社を辞めることが出来て少し落ち着いた頃に、ふと、クリープハイプのライブに行こうと思った。そして、初めての大阪城ホールでのライブに当選することが出来た。

喜んだのも束の間、緊急事態宣言が発令され、延期、中止に。どの席なのか気になって発券したチケットは、アリーナ2列目だった。色んな意味で本当に悔しかったけれど、どうしようもなかった。

次に行くことが出来たライブは、
2021年、6月21日、オリックス劇場での尾崎世界観の日。

この日のことは鮮明に覚えている。

確かコロナのせいで2度ほど延期になって、もう無理かと思ったけれど、開催してくれた。
声を出すことはもちろん出来ないし、ライブに行くこと事態憚られるような時期だった。

けれど、だからこそ聞いている人は、この時間がどれほど貴重なのか分かっていた。みんな固唾を飲んで聴き入っていた。スポットライトに照らされた尾崎さんが、相変わらずの猫背とビーサンで、ぺこりと頭を下げて入ってきた時の様子が今でも目に浮かぶ。自分の体が熱くなった。本物の尾崎さんだ、久しぶりだと。

弾き語りの「大丈夫」はとても優しかった。
コロナウイルスのせいで沢山のライブが中止になった。沢山のライブハウスが営業出来なくなって、潰れてしまって、生の音楽に触れる機会もめっきり無くなった。そんな中での「大丈夫」は、そこにいた皆んなが欲しかった「大丈夫」だった様に思う。

そこで、ライブに行けていなかった期間も含めて3年振りぐらいに尾崎さんの生の声を聞いた。自然と涙が流れてきて、ありきたりな言葉だけど、やっぱり大好きだと思った。

その時、生で演奏を聴くことの大切さや有り難みを改めて知ることが出来た。
コロナ禍で大変な中、2マンライブやホールツアーを開催してくれた。本当に心の支えになった。


そして今回の大阪城ホール。今まで行ったクリープハイプのライブの中で、1番規模が大きかった。3年ぶりにやっと、大阪城ホールでのライブを見ることが出来て、その中に自分も加わることが出来たこと、本当に良かった。

また、今回この様に、自分とクリープハイプとの思い出を振り返ってみるのは、凄く楽しかった。他の方の記事を読んで、自分と似ているな、とか全然違うな、とか気づくのも面白い。

拓さんが大阪城ホールで、「一緒に生きていきましょ
う。」と言ってくれたけれど、この10年を振り返ると、一緒に生きてきたと言えるんじゃないかな?と思う。
少し恥ずかしいけど。
これからも、一緒に生きていきたいなと、クリープハイプとの思い出を振り返りながら改めて思った。



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