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私は17歳の時、一型糖尿病と診断された(2/2)

退院の許可がおりた。
入院時、私のHbA1cは13以上あったが、たしか退院時には10くらいに下がっていたと思う。(正常値は4.6~6.2)
私の好きなものを食べようとのことで、ずっと食べたかった寿司を食べに行った。調子に乗ってめちゃくちゃ食べたので、夜の血糖値は400を軽く超えていた。やっちまった。

退院した次の日は学校を休んだ。ずっと病室にこもっていたので、生活の感覚を取り戻すためだ。テスト明けの球技大会の日なので出たかったが、さすがに退院直後に球技大会は無茶が過ぎる。

…そう、テスト。季節は2月後半、学年末テストの時期。
1週間にわたるテスト週間、私はモロ入院して1教科も受けることがなかった。
……正直とても助かった。私にとってレベルの高い高校であり、順位は常に下から数えた方が早かった(クラスで下から2.3番目レベル)。
この学年末テストで多少マシな点数をとらないと、進級が危ないと言われている教科もあったのだが、
前述したとおり入院していたため、1学期・2学期のテスト結果を参考にして成績をつけてもらうことになった。「だからあんまり良い成績にはしてあげられないよ」と言われたが全く問題なかった。むしろ先生ありがとうございます。おかげでなんとかギリ進級できました。


退院してからが私の1型糖尿病人生の始まりだった。
血糖値の測り方は、当時は指から血を出してチップにつけ実測する方法しかなかった。
今では目をつぶってでもできるが、慣れないうちはもたもたして時間がかかる。朝少し早起きして実測・注射していた。
ちなみに今はフリースタイルリブレという、腕に機械をとりつけかざすだけで、おおよその血糖値がわかる優れた医療機器が普及して、4年ほどつけていた。
実際には血液ではなく、血管の近くの体液による数値のため多少のタイムラグがあるが、荷物は少なくなるし5秒で測れるし、私の闘病生活はかなり楽になった。
日々医療品の研究をしてくださっている方々には、足を向けて寝れない。本当にありがとうございます。

周囲の理解を得るのも大変だった。
低血糖になるとすぐ倒れる、と過度に心配していたため、友人や部活のメンバーには細かく説明をした。
しかし「糖尿病」という世間一般のイメージが強いため、親にデザートのいちごを目の前で少なくされて号泣したり、祖母に「お菓子食べて大丈夫なの?」と聞かれて傷ついたり、理科の実験でカルメ焼きを作ったとき、何も知らないクラスメイトの「糖尿病になりそう~w」という発言で、授業後に友人の前で泣いたりした。

私の支えになったのは、同じ1型糖尿病患者の存在だ。
病気になってすぐにTwitterで1型だという発言をしたところ、次々と相互フォローが増えていったが、
一番最初にフォローし声をかけてくれたのが、同じ歳の女の子だった。
彼女は幼少期から1型で、「病気にならなければ同じ病気の子と仲良くなれなかったし、今では感謝している」と、一見綺麗事のようだが本気で思っている、芯の強い子だ。
彼女とはずっと会いたいねと言っていて、7年経ってようやく、初対面ディズニーシーをかました。
彼女がシーに向かってる途中で低血糖になり少し遅れると連絡があったり、食事の時に一緒に注射したり、私が高血糖で追加で注射しようとしたとき「油もの食べたあとだからこのあとガクンと下がると思うよ」とアドバイスをくれその通りになって、低血糖を免れたり。
1日一緒にいてとても楽しかったし、今は前向きな彼女にも注射を一切しなかった期間があったと初めて知ったり、いろんな話をした。


だが、私は彼女のようにはなれない。病気になって感謝したことなど一度もないし、この先どれだけ生きても彼女のようには考えられない。

「注射さえすれば普通の人と同じように過ごせる」
エッセイやサイトなどでよく言われているが、正しくは
「寸分の狂いもなく適量を注射して、高血糖・低血糖にならず、100%のコントロールが一生できていれば、普通の人と同じように過ごせる」である。

ホルモンやその日の体調などによって、なぜか急にインスリンが効きにくく・効きやすくなり、高血糖・低血糖が起こる。注射の量が間違っていたかな、次はこう打とう、と反省しても、次も同じようになるとは限らない。
自分の身体なのに全くわからない。うまくコントロールできない。

私の場合、低血糖は、動悸・ふわふわする。(発症して数年は手の震え等あったが、いつのまにか出なくなった)
急いでいる時や仕事の説明を受けている時など、すぐに補食できない時もあり、身体がどんどんしんどくなっていく。
高血糖は口の渇き。血糖値がだいたい150以上になるとこの症状が出てくる。
一時だけならそこまで問題ないと医者に言われたが、そんなわけないだろうと思っている。
血糖値の乱高下なんてしょっちゅうだ。私は何よりも高血糖が怖いので、打っても下がらず高血糖が続くとつい打ちすぎてしまい、一気に下がり低血糖になる。おかげで血管はボロボロだろう。
65歳までには脳梗塞で死ぬだろう、と本気で思っている。

今、私は妊活を考えている。夫と結婚して3年半、やっと私が妊娠を意識しだした。今まで考えられなかったのは「長い妊娠期間中、血糖値のコントロールが上手くできる自信が全くないから」が理由の半分を占めていた。血糖値が悪いと、胎児の健康が脅かされたり、ハンデを持って生まれてくるリスクがかなり高くなるのだ。
何かあったら100%私の責任なのが目に見えている。

10年間、ペン型の注射器を使用していたが、コントロールしやすくなると言われているインスリンポンプに替え、3か月が経った。たしかに、いつでもどこでもボタンひとつで注射ができるので、そういう意味では手軽になった。
が、ポンプになったからといって荷物が軽くなるわけではない。1日出かける日はポンプの不具合等の万が一のことを考え、相変わらずペン型注射を持ち歩く。12時間に1回、血液を実測しなければいけないため、採血セットも必要だ。低血糖になった時用のラムネも。
私のバッグは常に、インスリンセットで半分埋まっている。周りの女の子のように、小さなバッグに憧れるが私には一生叶わない。

病気を発症して、血糖値を意識しない日なんて1日もない。
食事の際、おいしそうという感情と一緒に出てくるのは「どのくらい注射打てばいいかな」だ。同じ年代の子で、ごはんを前にして血糖値の上り具合を考える子がどのくらいいるだろうか。なんで他の人は膵臓が自動でやってくれることを、私は手動でやらなければいけないのか。
医療費毎月1万。ポンプになってからは2.8万。ただ生きるだけでこれだけかかる。人生において一番の無駄金だ。なぜこんな大金を払わなければ生きていけないのか。


なぜこんな大金を払ってまで生きなければいけないのか。ずっと考えていた。何度も自殺を考えた。こんなことして何の意味があるのか。私が死んだら両親は立ち直れないくらいショックを受けるだろう。両親が死んだら私もすぐに死のう。
そう決めて生きていた。

1型を患って1年と少し、現夫と出会い、5年間の交際期間を経て結婚した。
今でも「なんでこんな無駄なことしているんだ。生きているのが面倒くさい」とたまに思う。血糖値が思い通りに下がらない、ポンプ交換時の針が痛い、何もかもうまくいかない時に涙が溢れてきて夫に泣きつく。
「俺は注射が大嫌いだから、毎日自分に針刺してるだけで偉いと思うよ」と言ってくれる。

夫のために死ぬわけにはいかない。
そう思いながら、打ちたくもない注射を、今日も打って生きている。


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