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砂鉄採取の痕跡発見

それは、一枚の絵図の発見から始まりました。

江戸時代に和鉄を作っていた近藤家に眠る10万点にものぼる古文書の内の一枚です。

s近藤家文書2247(都合谷鉄穴)1

鳥取県指定文化財になっている「都合山たたら遺跡」に関する絵図です。

そこには、砂鉄を採取する場所が描かれています。

砂鉄は鉄の重要な原料でした。

当時としては文字通り、宝の絵図だったのでしょう。

そこで私が所属する伯耆国たたら顕彰会は、この場所を確認できないか、調査することにしました。

角田博士のご指導の下に、集まった5人の物好き。

山のふもとで地図を照らし合わせて場所の想定をします。

博士は「このあたりから入って、尾根を縦断します。そしてここから降りてゆきます」

と、ちゃっちゃと指示を出されます。

流石、日本を代表するたたら研究家のセンセです。


転んだらふもとまで落ちてゆきそうな急斜面を、這い上ってゆきます。

腰につけたクマ避けの鈴が、チャリンチャリンとなります。

いや、カランカランだったかな?

まあ、そんなことはどうでもよろしい。

山の稜線に出たら、尾根伝いに小道がついていて、かなり歩くなっています🎵

私がスキップしながら歩いていると、センセは「それが水路の跡です」とおっしゃいます。

すいろ

そう言われると、確かに水路のようなへこみがあって、驚くほど水平に道が走っていました。

そしてその先には山が大きくえぐられた跡があります。

水路から水を落として山を削り、砂と砂鉄と水を一緒に谷下に落とします。

はしり

下に下にと歩いてゆくと、だんだん道が急になって、人間も落ちてしまいそう。

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ここを砂鉄や砂が流されていったのです。

下は平地になっていて、選鉱場があったらしい。

水路で水と砂を流して、底にたまった砂鉄を採るという選別法です。

ほかにも炭を作った炭窯跡もありました。

すみがま

水路は小川に流れ込んでいて、対岸に渡ると街道に出ます。

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昔の人は、この街道で砂鉄を運んでいたのでしょう。

行きつく先は、都合山たたらになっています。


くたくたになったわれらは、その場に座り込んでしまいました。

しかし先生は、平気な顔。

「よくこれだけの場所が予想できましたね」

と感心していたら、

「午前中も一度登って下調べをしてきましたから」

いったいこの先生にはどれだけの体力があるのでしょう。


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