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「世界はこんなにも輝いている」

美術家のLimo(@Limopiece)です。

2022年〜世界をめぐりながら【暮らし】【旅】【子育て】のほどよいバランスを探求中して、アートの現場・展示・制作と距離をとっていました。

1年以上が経過し、やっと私の点と天(本当は点と点)がつながってきて線になり始めたので、文章にまとめていきます。

Limoフィロソフィーキーワードは3つ

「世界はこんなにも輝いている」
「一瞬の心の逃げ場」
「空想の種」

この記事では、「世界はこんなにも輝いている」の思いを言葉にしてみました。



「世界はこんなにも輝いている」


Limoの生き方・表現を通して、

「世界はこんなにも輝いている」

とお伝えしたいんです。

特に子供たちにそれが伝えたいんです。

子供は自分の気持ちを言葉にしたり、自分をとりまく環境をコントロールするもの難しい。

そんな子供たちに向けて、

世界にはまだまだあなたの知らない愉しいことがいっぱいあるって知ってもらいたい。

どんなに時間がかかってもいいから、夢中になれる何かを見つけて、世界と自分を遊びつくせる人生を送ってほしい。

今、もし死にたいくらい辛くても、大人になれば、自分次第で人生はどーにでも思い通りになります。

自分の行動とめぐりあいで世界はめちゃくちゃ楽しくなる。

だから、未来の自分を信じてほしい。


このメッセージを軸にLimoは活動していくんだと辿りつきました。


この「世界はこんなにも輝いている」のメッセージに辿り着くまで。

Limoは自殺したいと思うほど辛い学生生活を送っていました。

詳しくはこちら→

その時は気づいていませんでしたが、幼少期に住んでいたアメリカでの輝いていた暮らしの記憶が私を支えてくれていました。

世界にはここ以外の生活や文化があって、今の日本の生活と比べ物にならないくらい色鮮やかでキラキラしていた。

そんな記憶です。

幼少期のアメリカ生活

Limoは4歳の時に、父の仕事の都合でアメリカに9ヶ月間住んでいたことがあります。日本では体が小さくて泣き虫だと仲間外れにされ、とても淋しい思いをしていました。

しかしアメリカの生活が始まった途端、そんなジメジメした人生が一転しました。

母は機嫌がよく、父は明るいうちに帰ってくる。

近くにテニスコートやプールがあり、週末はボートで魚釣り。
長い休日には、アメリカの国立公園を車で回りました。

まさに夢のような体験です。

この時の暮らしがLimoの原体験になっていると気づけました。

自分の力ではどーにもならない日々

しかし、日本に帰国すると、またジメジメした人生が待っていました。
幼稚園では体の大きな園児にいじめられました。

押さえつけられて、みんなの前でスカートをめくられたり、日常的に馬鹿にされたり、仲間外れにされたり。

いじめられていることを母に伝えても相手にしてくれませんでした。
そのうち、「誰も助けてくれない」そんなう風に思うようになり、相談することもなくなりました。

アメリカの生活が恋しくなり、父に「いつアメリカに戻るの?」と尋ねると、「もうずっと日本だ。アメリカに住みたいなら、大人になってから自分で行きなさい」と言われ、途方もない時間を感じて、絶望しました。

辛くて退屈な日本の生活。
日本とは違うアメリカという世界があるという記憶が、知らないところで私を支えました。

忙しさに全てを忘れる

中学・高校・大学になると毎日に必死。
英語に対する憧れはあるものの、自分をどんどん見失っていきました。

看護大学を卒業して、手術室看護師として働きはじめ、体力の限界と忙殺の日々でした。
「このままでいいの?何かが違う」
この日本社会で自立するために必死だったけど、それでいいの?

一つの答えをくれたのは、図書館で出会った数冊の本でした。

「フリーランサーという働き方」
「楽しい国際結婚」

あ、、、そーだった。
私は英語を使いこなして、海外で暮らすのが夢だったんだ。

ヘアメイク、そして美術家へ

原体験を思い出した私は、看護師ではない新しい仕事を模索することにしました。

それがフリーランスのヘアメイク。

看護師を辞めて、東京でヘアメイクの専門学校に通い、アメリカのハリウッドでヘアメイクとして活動しました。

日本に帰国してからも、東京で雑誌や広告の撮影ヘアメイクのお仕事をしていました。

ヘアメイクの仕事はとてもやり甲斐があるし楽しいものでした。

でも心の隙間がなぜか埋まらない。
どんなに大きなクライアントさんのお仕事でも、どんなに有名な方のヘアメイクを担当しても、嬉しいのは一瞬。
流れていってしまって、自分の手の中に何も残っていない。そんな流れていってしまうような感覚でした。

きっかけはひとつのヘッドピースを作ったところから始まりました。
詳しくはこちら
https://note.com/limopiece/n/n1f7ca0c0d881


作品を重ねるうちに、

「たとえ私が死んでしまったとしても、世界に遺る何かをうみだしたい」

そんな思いから、
ずっと憧れていた美術家の道を40代過ぎてから挑戦することにしました。

好奇心と衝動の工場

美術家の世界に足を踏み入れてからは、無我夢中でした。
美大卒でもない無名の40代のフリーランス主婦。
でも、門戸は閉ざされてはいませんでした。
誰も私を馬鹿にすることなく、アートは私をちゃんと受け入れてくれました。

展示も重ね、作品も売約するようになり、これからどんどん露出を増やしていかなきゃな時に、ふと違和感を覚えました。

「私が世界に向かって叫びたいメッセージがない」

ただただ、自分の好奇心と衝動に振り回せれながら工場のように作品をつくっている自分に気づいてしまいました。

「このままじゃダメだぁ。一回リセットしよう」

自分が本当に世の中に叫びたいメッセージが見つかるまで、何をしても表面的で薄っぺらい活動になってしまう。

それでは人の心は動かせないし、なにより自分が気持ち悪い。

そう感じて、2022年から長い人生の夏休みを取ることにしました。

詳しくはこちらhttps://note.com/limopiece/n/n743ae293f50c

ギリシャで出会ったドイツ人クライマー

人生の長い夏休み期間に、ずっと憧れていたギリシャを旅することにしました。

そこで出会ったドイツ人のロッククライマーに岩の登り方を習いました。そしてドイツのお家に招待してくれました。

ロッククライミングとドイツ田舎暮らし。

こんな何もないのに全てがある豊かな生活が、この同じ世界で繰り広げられていることに、心が穏やかに深く震えました。

「たとえ私が死んでしまったとしても、世界に遺る何かをうみだしたい」

と感じて美術家の道を進んできましたが、「世界に遺る何か」から解放されました。

Satomi el besoのNYコレクションへの挑戦

私がギリシャ・ドイツを旅しているのと同じ時期に、東京では親友とも言える衣装デザイナーのSatomi el besoがNYコレクションへの挑戦を掲げクラウドファンディングの準備をしていました。

私も海外にいながらも応援できる支援をしていこうと思っていました。

そこでのやり取りの中で、いろんなキーワードが浮かび上がり、私の中で点と天(本当は点と点)がつながってきて線になり始めました。

なぜ、私が幼少期こんなにも辛い経験をしなくてはならなかったのか?
なぜ海外が心の支えになったのか?
美術家:表現という生き方に辿りついたのか?

「世界はこんなにも輝いている」

それをまだ知らない誰かに伝えたい。そう心の底から感じました。

まだ辿りついたばかりのメッセージですが、
私の原体験と結びついた今、このメッセージは私の軸となってゆきます。


美術家のLimo(@Limopiece)
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「世界はこんなにも輝いている」をお伝えする活動の一環として


現在、衣装デザイナー「Satomi el beso」9月NYコレクション:クラファンサポーターをしております。

ただいまLINEのオープンチャットにてご意見・ご要望どしどし受付中。
みなさん気軽に参加してね💓

参加はQPコードより

【LINEオープンチャットURL】

https://line.me/ti/g2/BmFCdSHCRfEObdj9LBzBme43H9vC1EfwsDVrMA?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

✨オプチャの拡散。大・大・大・大歓迎です✨

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Limo (LimoPiece)美術家

手術室ナースからヘアメイクへ転身。
その活動の中でアートな仮面を考案し、ワイヤーアートに辿りつく。

2022年〜世界をめぐりながら【暮らし】【旅】【子育て】のほどよいバランスを探求中◉11歳娘はマレーシア単身留学中◉

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