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白い月|#シロクマ文芸部(約1700字)

 今朝の月山つきやま先生は、なんか変だった。いつもなら「おはようございまーす!」とニコッと笑って元気に教室へ入ってくるのに、黙ってスーッとドアを開けて入ってきた。そして教壇の前に来て初めて「おはようございます」と挨拶をした。それも小さな声で。日直の挨拶の声も、先生と同じくらい小さな声になってしまった。

 月山先生は… 泣いていた。どうしたんだろう。何があったのかな。

「皆さんに悲しいお知らせをしなくてはいけません」

  悲しいお知らせって… まさか…

「春から病気で入院していた風間くんが… 亡くなったと、先程お母さんから連絡がありました。また一緒に遊んだり、勉強できることを楽しみにしていたのに… 残念です」

 教室が悲しみのすすり泣きの声でいっぱいになった。大声で泣く女子もいた。あぁ、ハルちゃん…あいつは風間くんのこと好きだったもんな。

「来週の木曜日がお葬式です。その時に、天国の風間くんへ届けるお手紙を… 皆さん書いてくれますか?」

「はい」

 今日の午前中の授業は、風間くんへのお手紙書きで全部なくなった。算数や社会の授業していても、きっと頭には入ってこなかったと思うし。風間くんのことを考えているんだったら、それを手紙に書いた方が良いよね。

 僕は3年生になって初めて風間くんと同じクラスになった。でも2クラスしかないから、風間くんのことは知っていた。頭が良くて漫画を描くのが上手だけれど、スポーツはちょっと苦手な奴だ。運動会のかけっこでは、いつもビリ。まぁ、僕が風間くんに勝てるのはかけっこくらいしかないけれど。

 風間くんは小学校に入った頃からしょっちゅう熱を出したりと休むことが多かったらしい。で、3年になってまた熱を出し検査のために大きな病院へ行ったら、そのまま入院になってしまった。だから、僕はあんまり風間くんとは仲良く遊んだ記憶はない。でも、あいつの描いた漫画のことは良く覚えている。

 月毎に学級新聞を作るのが、2年生から始まった。学級新聞は新聞係が担当で、それをクラス内の六つの班が月替わりで編集のお手伝いする。風間くんは去年も今年も新聞係だった。そして四コマ漫画の担当をしていた。学校を休んでいても、漫画なら描けるから…と引き受けたらしい。で、隣のクラスだったけど「風間の漫画、面白いんだぜ!」という噂を聞いて、僕はいつも読みに行っていた。噂通りに面白いし、絵も上手かった。

 同じクラスの同じ班になって… 4月の学級新聞を作る時、初めて風間くんとちゃんとしゃべったかな。でもそれが最初で最後だったなんて。

「風間くんって漫画が上手なんだろ?3年になっても、また学級新聞に四コマ漫画描いてくれるの?」
「描くよ。ダメだって言われても描くぜ」
「風間くん、本当に絵が上手いな。ほら、あの…青塚藤太先生の漫画みたいだと思ってたんだ」
「わかる?俺、青塚先生の大ファンなんだ。将来は青塚先生のような漫画家になりたいんだ!」
「風間くんならなれるよ」
「ありがとう」

 4月の学級新聞には風間くんの四コマ漫画も掲載されたが、あいつがそれを見ることはなかったし、5月以降の学級新聞には四コマ漫画コーナーが無くなってしまった。スペースは空けてあったんだけれど。退院したらまた読めると誰もが信じていたし。

 僕は風間くんへの手紙に、四コマ漫画の大ファンだったことと青塚先生の新作について…書きまくった。

 お葬式の日、お別れのコーナーに学級新聞が貼られていた。月山先生が毎回届けていたそうだ。風間くんがとても楽しみにしていた学級新聞の四コマ漫画のコーナー…  そこには、鉛筆の描きかけの漫画が貼られていた。

「あ、風間くんの漫画だ!」

 とても弱々しい線と吹き出しの文字。一生懸命描こうとしていたのはわかる… 三コマ目の描きかけで終わっていた。

「最後はどうなったんだろう」
「でも、きっとみんなを笑わせようと思ったんだろうね」

 僕もそう思う。あいつは自分のお葬式でみんなに泣いて欲しくない… 笑ってさよならしたかったんじゃないかな。

 ふと見上げた青空には、雲のような白い月が浮かんでいた。

この夏はいろんなことがありました。
ふと、自分が小4だった時の悲しい思い出がよみがえり、なんとなく絡めて書いてみました。

#シロクマ文芸部
#今朝の月

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