Notting Hill/ノッティングヒルの恋人(1999)がここまで愛される理由はその「ストーリー」にある
もはや前置きは要るまい。最高峰の純愛ストーリー、「ノッティンヒルの恋人」である。
制作年の1999年から20年が経ったが、未だなおラブストーリー界のトップに君臨する映画である。今回の投稿では、この映画がそこまで愛される理由を、映画のあらすじ、ストーリー構成の王道かつくぎ付けにさせる凄み、セリフの美しさ、そして全体を通して伝えたいメッセージの順に考察していこうと思う。
あらすじ
ウィリアム・サッカーは、ロンドン西部のノッティングヒルという地域で小さな旅行書専門の書店を開いているバツイチの男性だ。ある日突然、その書店に超有名ハリウッド女優であるアナ・スコットが立ち寄る。そこで二人は恋に落ち―という展開では流石になく、店を離れたアナとウィリアムが偶然、あるいは必然的に再開し、ウィリアムの誠実で優しく暖かい性格にアナが惹かれていくと共に、ウィリアムも徐々にアナに対する恋心が芽生えていく。しかし、やはり一流芸能人と小さな書店オーナーとが順風満帆な恋を育める訳はなく、社会的な壁が二人を何度も引きはがしていく。それでも「純愛」という名の赤い糸は簡単に切れてはくれなかった。別の女性とお見合いを重ね、アナに完全に別れを告げた後も、ウィリアムは考える、アナのあの言葉はどういう意味だったのか、自分の心に自分自身が向き合っているのだろうか、アナは今どこにいるのだろうか...その答えは、一番あり得ない場所でのプロポーズという形で映画の最後に語られることになる。
ストーリー構成の凄み(一番見てほしい!!)
この映画のプロットはシンプルに「上げて落として上げる」の繰り返しだ。芸能人と一般人の恋なんて茨の道になるに決まっている、そう上手くいかないはずだ、と視聴者は感じているだろうから、それに乗っかる形で分かりやすい「茨」を用意し、映画終盤で最悪の茨とそれを上回る最高(最幸)のハッピーエンドを持ってくるという構成。この構成自体のシンプルさゆえに視聴者は気持ちよく映画を観れているのかもしれないが、その中にも巧妙な工夫がなされている。
第一に、「アナの突然のキス」だ。
アナが書店を出た後、ウィリアムは同僚のマーティンの分のオレンジジュースを買いに出るが、書店に戻る途中に偶然アナとぶつかりオレンジジュースをぶっかけてしまう。そこでウィリアムはとっさに自分の家で着替えないかと提案し、連れて帰る。もちろん、100%善意でだ。だがアナが着替えている最中にふと我に返り、自分の置かれている夢のような状況に戸惑いを隠すことができず、しまいにはアナを玄関まで送るまでぎこちない会話をしてしまう。アナは一旦お別れをし家を出るも、もう一度帰ってき「さっきあなたの書店で買った本を置いて出ちゃった」と言う。「ああそうだそうだ」と言い本を持ってくるウィリアムに対し、突然アナはキスをする。えええええっっっっっっ!?ここで!?!?はやすぎん!?となるのはあまりに当然だが、本来恋とはこういうものなのだろう。恋とは一瞬で落ちてしまうものなのだ。そう、芸能人でさえも。「ここから純愛ラブストーリーが始まるぞ」という脚本家の声が聞こえてくるシーンである。良い形でぐっと視聴者のテンションを無理やり引き上げる。
第二に、「ウィリアムの妹の誕生日会でのブラウニー争奪大会のシーン」だ。
ウィリアムはアナをデートに誘うが、しかしその日は妹の誕生日会だった。やらかしたと思ったウィリアムだが、アナの提案で彼女と一緒に出席することになる。彼の古くからの親しい友人たちと一緒に仲良くディナーを楽しむが、最後に残ったブラウニーを誰がもらうかを決めるために、「一番つらい人生を歩んでいる人」を決めて、その人が最後のブラウニーを食べる権限を与えられるというルールを作ってしまう。こういう面白い発想はとてもイングリッシュっぽいので僕は好きだ。そして皆それぞれが置かれている苦しい境遇を語っていくのだが、アナも芸能人なりの辛い人生を語る。19歳の頃からダイエットをしていていること、全盛期を過ぎれば過去の人に成り下がってしまう怖さなど、派手な外面の奥底で抱える苦しみはやはりきつい。だが誰もそれを信じようとせず、笑い飛ばしてしまう。
このシーンの素晴らしさは、芸能人という無敵キャラにも弱点(あるいは脆さ)があるのだということをウィリアムと視聴者に伝えるという仕事をしていることだ。このシーンがあることによって、ウィリアムはアナをより身近に感じることができるし彼の性格上アナを助けてあげたいという気持ちが芽生えるようになる(彼はまだ気づいていないが)。そして視聴者は、アナが自らの弱さをウィリアムにさらけ出すシーンに出くわすことによって、一層ウィリアムとアナがくっついて欲しいと願うようになる。脚本家はこの後に「アナに実は彼氏がいた」という事実を持ってくることによって、この願いを裏切ることに(映画として良い意味で)成功しているのだ。
第三に、「Chagallの絵画の伏線」だ。
アナのヌード写真が流出してしまいそれに酷く落胆したアナはウィリアムの家を訪れる。もう会うことはないと確信していたウィリアムだったが、アナの取り乱した様子を前に無碍に扱うことはできず、ひとまずかくまう。ここで特徴的なのは、アナの恋心が明らかに表に出ているところだ。彼女は自分自身も確信している、私はこの人が好きなんだと。それが婉曲的に現れるのが、Chagall(20世紀のフランスの画家)の絵画について語るシーンから続く伏線回収までの流れだ。まずアナはウィリアムの家で、
アナ「この絵、素敵だよね」
ウィ「君もChagallが好きだったのか」
アナ「愛の本来の姿って感じ。青黒く暗い空でゆらゆら浮かんでる。」
ウィ「あの羊もか?ヴァイオリン弾いてるけど。」
アナ「ヴァイオリン弾きの羊は必要よ。幸せが幸せであるためにはね。」
彼らが見ている絵画の名前は「La Mariée」英語訳は「The Bride」、日本語では「花嫁」である。Chagallは、青黒く暗い空に花嫁を浮かせ、羊にヴァイオリンを弾かせたこの作品を通して、「幸福」を視覚化しようとしたと言われている(諸説あり)。アナはそれを含めて、この絵画は自分のあこがれる愛そのものなんだとウィリアムに伝える。
そして終盤にアナが最後の告白をし、そしてフラれてしまうシーンでは、この絵画の原画をウィリアムにプレゼントする。その場でウィリアムは開封せず、彼女が去った後になにかを知ることになったのだが、この絵画の意味を考え直すことでアナに対する気持ちに改めて気づくことになり、今度はウィリアムから告白をしにいくという流れとなった点で、絵画の伏線はこの映画の中でも最も重要な要素の一つになった。そしてなかなか気づかない点だが、アナとウィリアムのウェディングケーキはなんとヴァイオリンを弾く羊がデザインされている。これまで映画全体を通してそういった細かな気づきにくい伏線を入れてこなかったことを踏まえても、その重要さがわかる。
これらの他にも、実は色々ある(四季の移り変わりの伝え方や、ズームのピンショットの使い方)のだが、それは他の映画を考察するときに合わせて語ろうと思う。この映画はやはりストーリーの秀逸さが目立つと思うので、今回はその点のみにフォーカスする。
セリフの美しさ
さて、この映画の素敵な点はストーリーだけではない。セリフがとても綺麗なのだ。例えば、
ウィリアムの妹が初めてアナに会った際、
妹 ”I absolutely, totally and utterly adore you. And I just think you are the most beautiful woman in the world.”
というのだが、僕もカンペもなしにこういうセリフを言えるようになりたい…
また、アナが初めにウィリアムの書店に訪れた際、偶然知らぬ若者から電話番号を求められたとき言った、
アナ ”Tempting, but no.”
も特徴的でした。このように丁寧にNoと言えるようになりたいものです。
また、これは相当有名ですが、アナがウィリアムに最後の告白をしフラれた後に涙を浮かべながら言ったセリフが、
アナ ”The fame thing isn’t really real, you know. And don’t forget, I’m also just a girl standing in front of a boy, asking him to love her.”
フラないで~~~~~~~~~~~付き合って~~~~~~~とならざるを得ない。何度観ても泣ける。そしてお気づきだろうか、これ実は高校で習う英語ばかり。難しい単語は一切使っていない。それで世界中の人を泣かせているのだから、脚本家は本物だ。
これらだけではなく、およそ全てのセリフは美しい。特にブリティッシュ英語は。セリフに注目して映画鑑賞をしてもいいのではないだろうか。
映画のメッセージ
では最後に、この映画のメッセージについて...
いやメッセージは一つしかないだろ!!
If your love is tempting, DON’T SAY NO。誰が何と言おうと、社会がどれだけ反対しても、あなたが愛した人は最後まで愛しなさい!!
これにつきるのではないでしょうか!!
それでは、また!!!(´Д⊂グスン
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