"ミドリ"の日々 第1話
いつものスタジオ。
3曲、それぞれ二回ずつ合わせた後喫煙所に来た。隣の壁から誰かが演奏するドラムやベースの音が聞こえてくる。一際大きな音で掻き鳴らされているギターは、お世辞にもうまいとは言えない。
フーッと吐き出したタバコの煙は無風の空間を黙々とゆくあてもなく漂う。
煮詰まったアイデアを動かすためには休息が一番大事だと思っていた。しかし最近ではこの時間がやけにうざったく感じる。
「お前あの続き思いついた?」
「いや、いいギターソロはあるんだけどこの曲に合ってない気がするんだよな」
似たような会話を繰り返す毎日。今売れているアーティストも、下積み時代はこんな日々をずっと過ごしてきたのか、と思うと気が滅入りそうになる。
そもそも僕が音楽を始めたのも、人前に立つことが苦手だった自分を変えたい、そしてあの憧れのバンドのように自分達の音で、大きなステージから米粒ほどにしか見えない客を熱狂させたいという思いからだった。
しかし今このレッドミントというバンドはそんな初心を忘れてしまうほど、メンバー全員が活動に飽きや不安、限界を感じていた。
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「おい!」
「はぅっ?!」
イヤホンで音楽を聴きながら下を向いて歩いていると、急に後ろから誰かに肩を叩かれ思わず男らしくない声を出してしまった。
大学の正門から1番奥の教室棟に向かう、桜が満開の4月の道で、いつもと変わらない顔が僕を見て微笑んでいる。
田村「いぇーい、〇〇やん」
〇〇「…やめろよ保乃」
田村「またそんなカッコつけて、なんか嫌なことでもあったんやろ?」
〇〇「別にそんなんじゃねえ、って言いたいところだけど当たってるよ」
高校生から付き合いのある保乃は、大学四年生になっても変わらない僕の素っ気ない態度と、1人で悩み事を抱え込む癖を完全に理解していた。
田村「やろ?〇〇と丸6年も一緒に過ごしてきたんやで?この春で7年目の付き合いやねんからナメたらあかんで」
〇〇「もうそんなになるのか」
田村「あの頃はまだ可愛げがあったのに、今はこれやもんなぁ」
〇〇「これって?」
田村「頭ん中、バンドのことで埋め尽くされてるやん」
〇〇「いいだろ別に、趣味のない奴よりよっぽど楽しい日々を過ごせてると思うけど」
田村「そう?保乃にはそう見えへんな!」
〇〇「なんで?」
田村「だって最近〇〇のライブ見に行っても笑ってもないし、バンドメンバーの人と目合わせることも無くなったし、MCもあんまりせんくなったし」
〇〇「そりゃそんな風にもなるよ」
田村「なんでなん?音楽楽しくないん?」
〇〇「楽しくないって言ったら嘘になるけど、楽しいって言っても嘘になるな」
田村「どっちやねん」
〇〇「なんかでもそんな感じ、四年生になったから余計かな、将来のこととか意識するようになってからは特に。前までどんな気持ちでバンドやってたかわからなくなるんだよね」
僕が保乃に対してここまで本音で悩みを語ることは初めてだった。
田村「ふーん、そっか」
〇〇「興味ないだろ別にこんな話」
田村「なぁ、この後講義?」
〇〇「そうだよ」
気がつけばもう教室棟の前まで来ていた。
田村「その講義2回目やんな?初回は出席した?」
〇〇「一応出たよ、課題は出してないけど」
田村「んじゃ今日サボろ!保乃ご飯まだ食べてないし」
〇〇「お前の昼飯に付き合えってか」
田村「ええやん、〇〇もそんな悩み抱えてるのに講義なんて受けても意味ないし」
〇〇「お前な…」
田村「保乃とご飯食べたら久しぶりに家来てもええで?2人でお酒でも飲もうや」
〇〇「まあ、保乃がいいなら…」
田村「じゃあ食堂行こう!」
そう言って保乃は歩くスピードを早めた。春全開のこの大学の雰囲気と似ている陽気なオーラを全身に纏っている彼女は、今の僕には明るすぎた。
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食堂で日替わり定食を食べた僕たちは、誰もいない中庭のようなところに来た。そこでタバコを吸う。
田村「いやぁおいしかったなぁ、たまには食堂もありやな」
〇〇「ここのご飯はちょっと硬めだから好きだわ」
そんなどうでもいいような話をしながら僕はタバコを二本吸った。三本目に火をつけようとした時、なんとなく発せられた保乃の言葉で僕はその手を止めてしまった。
田村「今思ったんやけどこの後家来てもやることないし、由依さんのカフェ、久しぶりに行ってみやん?」
〇〇「…由依さんか…」
僕たちの一つ上の代でこの大学のOG、小林由依さんは、学生時代のバイト先だったカフェでこの春から正社員になった。ゆったりとした雰囲気の場所で、僕や保乃、僕たちの周りの友人は何度も行くぐらいにお気に入りの店だ。最近は新学期が忙しく、僕も保乃も行けていなかった。
由依さんとは最初、いつものスタジオで出会った。
大学の軽音サークルから勧誘を受けていた僕の顔を覚えていたらしい。
つまり、由依さんも音楽をしている人間なのだ。
就職してからも、シンガーソングライターの夢を諦めきれない由依さんはずっとアコースティックギターを片手に今も曲を作り続けている。
そんな由依さんなら、今のこの僕の悩みに誰よりも共感してくれる、ふとそんな風に思った。
田村「なんかあかんことでもあるん?」
〇〇「いや、俺の今の悩みを話すにはちょうどいいかなって」
田村「ほんまやん!由依さん音楽やってはるもんな、完全に忘れてたわ」
〇〇「行こうか」
そう言って吸おうとしていたタバコを箱に戻し、僕と保乃は大学の正門へと逆戻りした。
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大学から歩くこと20分、由依さんの働く例の喫茶店に着いた。
観葉植物が多く置かれている玄関を抜けると、いつも座る"僕らのテーブル"がある。
どうやら客は僕たちだけのようだ。この店は立地の関係もあって来客は基本的に少なめ、5回に1回ぐらいのペースで僕たちの貸し切りになる。
田村「由依さん!お疲れ様です!」
あまりにも元気よく保乃が叫ぶものだから、思わず笑ってしまった。
田村「何笑ってるん!挨拶は大事やで!」
〇〇「バレーバカのお前にお似合いだよ」
田村「なんやその言い方!」
??「…落ち着きなよ」
奥からしっとりとした、どこか乾いているような、いや逆に湿気を含んでいるというべきか、とにかく低めのいい声の主がこちらに出てきた。
田村「由依さん!」
小林「2人ともまた来てくれたんだね、まあ座って」
〇〇「由依さん、正社員はどうですか?」
小林「まあそこそこかな。バイトの子のシフトを組まなきゃいけなくなったぐらいで、内容は特に変わってないし、楽にやってるよ」
僕の真面目な問いかけにも、どこか気だるい雰囲気で由依さんはそう答えた。
小林「注文は?」
田村「私はいつものカプチーノをください!」
小林「それでいいの?この季節だから限定で桜のフラペチーノもあるけど」
田村「じゃあそっちで!美味しそう!」
なんて単純な思考なんだ、と呆れたことと、ありきたりすぎる限定メニューに、ニヤッとしてしまった。隠したつもりだったが、由依さんにはバレてしまったようだ。
小林「何笑ってるの?」
〇〇「どっかの大手が怒りそうなぐらいパクリ感ありますね」
小林「そんなこと言ってるとあそこの観葉植物折って目ん玉に突き刺すよ?それとも耳に突き刺してもう二度と音楽聞けないようにしてやろうか?」
〇〇「…すいません…俺はホットコーヒー、ブラックで」
由依さんは僕らの注文を取り終えると、そそくさと厨房に戻っていった。
僕の悩みは思ったよりも僕自身を追い詰めているようだ。
由依さんの口から"音楽"という単語が出た時、保乃がほんの少しだけ悲しそうな顔になったことに僕は気づいてしまった。
〇〇「本当怖いな!あんな口調だから"狂犬"なんて店長に言われるんだよ!」
その保乃の顔を忘れようと、僕はわざとおどけてみせた。
田村「ほんまそうやんな、顔も可愛くてスタイルも抜群にええし、あとはあのクールすぎる男勝りな性格だけなんとかしたら大モテやと思うわ」
〇〇「そもそもそんな女も、それに媚び売る男も由依さんが嫌いすぎて無理だろうけどね」
その後も他愛もない話をしていると、注文の品が到着した。
運んできたバイトの人は新人だろうか、初めて見る人だった。
田村「ありがとうございます!」
??「ごゆっくりどうぞ」
棒読みでそれだけ言うと、その人もそそくさと厨房に戻った。それと同時に入れ替えで由依さんがこちらにきた。
手に持っているトレイには、コーヒーとオールドファッションが1つ乗っている。
ふぅ、とため息をつきながら、由依さんは保乃の隣に座った。
田村「休憩ですか?」
小林「そう、朝から休憩してなかったの。もう夕方か、なんか社員になってから時間が経つのが本当に早く感じるからいいよ」
由依さんなら言いそうなことだった。今四年生で就活やら単位やらで大焦りの僕たちからすれば、時間こそ必要なものだ。元々マイペースタイプの由依さんだったが、それでもこの社会人の余裕が羨ましく感じる。
僕はコーヒーを二口ほど飲んだ後、話を切り出した。
〇〇「…由依さん今日は…」
小林「何?オールドファッションに文句ある?」
〇〇「いやなんでそこ?」
田村「〇〇あかんやん!確かに茶色いだけでパサついてるけど美味しいねんでこれ!」
小林「保乃ちゃんイジってる?」
田村「え?あっ、い、いや、まさか!イジってるなんてとんでもないです!さっ、さすが由依さん大人やな〜って!」
小林「ほんとに?余計怪しいよ」
狂犬が微笑みながら保乃に視線を送ると、保乃は両腕で"バツ"を作って首を大きく横に振った。保乃のあまりの焦りっぷりに由依さんもクスクスと笑っている。
そのまま由依さんはこちらに顔を再び向けた。
小林「で、今日は何?」
〇〇「実は僕、今悩んでることがあるんですけど、由依さんならわかってくださるかなと思いまして」
僕はさっき保乃に話した以上に、丁寧に自分の悩みを由依さんに吐き続けた。
この時僕は心のどこかで、
「休んでもいいんじゃない?」
「ゆっくりいこうよ」
「もっと気楽に考えたら?」
そんな返事を期待していたのかもしれない。
それだけに、由依さんから返ってきた言葉は僕にとって衝撃的なものだった。
「一生やめることはできないと思うよ、音楽」
第1話 完
次回へ続く
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