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"ミドリ"の日々 第8話

保乃と大河公園で会った翌日、起きたのは午前11時半を過ぎていた。一瞬、完全に寝坊したという恐怖感で脱力したが、よくよく思い出すと今日からゴールデンウィークだ。

そうわかった瞬間、強張っていた身体は再びベッドのふわふわとした感触を妙に認識し、まぶたの奥から眠気がじわっと襲ってくる。

二度寝した後起きたのは午後1時ごろだった。

こんなにゆっくりと、一回も起きたり悪夢を見ることなく就寝できたのはかなり久しぶりで、思いっきり伸びをすると、なんだか部屋に入ってくる日光がいつもより明るく、高貴なものに見える。

睡眠の質がどう、みたいな文句を言いまくって宣伝する枕や布団の宣伝を軽蔑していたが、意外と侮れないなと思いながら3階の自室から2階のリビングへと向かった。

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台所で冷蔵庫から出した緑茶をお気に入りのタンブラーに入れて飲み干す。

先ほどまでくるまっていた毛布と5月上旬の暖かな陽気のせいでふわついた身体に、非常に気持ちよく染み渡る。飲んだ液体が食道を通り、胃まで到達していることがわかるこの感覚は結構好きだ。

人混みがそこまで好きなわけではないので、ゴールデンウィークは毎年特になにも予定を入れないものの、結局なんだかんだでバンドメンバーと会ったり、保乃と缶チューハイを飲みながら公園で話したりするのが僕のゴールデンウィークの過ごし方だった。

特別な思い出も、楽しみだなという気持ちも別になかった。

しかし、今年は違う。

明日、もうすぐ友人たちと大阪に戻る予定の夏鈴が久しぶりに僕と保乃と3人で会いたい、と言ってきた。

あの事故が起きる前日、それがこの3人であった最後の日だった。

あれから約三年。自分の中で踏ん切りをつけたつもりだったが、やはりそれは強がりだったみたいだ。

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適当にスマホを見たりして過ごしていると、家族用のグループトークにLINEがきた。

内容を見れば、両親は父の実家に行っているため、今日の帰りは遅いから晩御飯は各自で食べるようにということだった。

それに返信する形で、天も今日は友達の家に行って泊まってくると送ってきている。

両親が父方の実家に行っているときは大体午後11時ごろに帰宅することが多いので、それまでこの家には僕一人でいるということになる。

大人になるにつれ、家に誰かいるという状況が好きではなくなってきた僕にとって、最高のシチュエーションだった。

とりあえずタバコとライターを持って庭に出る。

火をつけるとメンソールがスーッと喉奥に入っていく。程よいキック感を感じ、ふーっと煙を吐く。この動作でようやく本当に目が覚めた。

この1人の時間をどう過ごすか考えていたところで、またLINEが入った。

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自転車に乗って隣街まで走る。川沿いは相変わらず気持ちよく、この時間はちょうど犬の散歩をしている若い女性や、仲良くウォーキングをする夫婦などでいっぱいだ。

この心地よい道を15分ほどいくと、木で出来た柵に囲われたスペースが目に入る。

自転車を止めると柵にもたれかかった女性がこちらに向かってきた。

ただでさえ目立つ金髪なのに、その白すぎる肌と整った顔立ちで、この草だらけのドッグランでは明らかに場違いなオーラを漂わせている。

??「〇〇くんおつかれ〜!」

〇〇「お疲れ様です、おぉポム、元気か?」

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このポムという愛くるしいチワワの飼い主である小池美波さんは、僕とまつりさんのバイト先「竜胆」の元先輩である。

現在はこのドッグランから歩いて10分ほどいったところにあるペットショップでトリマーとして働いている。

竜胆でシフトが被った時は、よく帰り道にエナジードリンクを奢ってもらう代わりに、ポムの散歩に付き合わされていた。最初ポムは僕に向かってよく吠えていたので犬が嫌いになりそうだったが、人間というのは不思議なもので、急に愛情を向けられると今までの不満や不信感というものは瞬時に消え去るのだと、この小さな動物に学ばされた。

ポムが僕に甘えてくれるようになってからは、自分から散歩に行かせてほしいとお願いするまでになった。

さっきのLINEは、久々にドッグランに行くのでポムを見るついでに家に来ないか、という誘いだった。

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ポムはドッグランで他の犬より、その飼い主に興味を示している。

〇〇「チワワってなんでこうも小さいのに勇敢なんですかね」

小池「ビビらんよな〜ホンマに」

〇〇「目の前ゴールデンレトリバー無視してさらに大きい人間に興味示すって意味不明ですよね」

小池「ポムは強くて可愛い最強のチワワやから」

〇〇「羨ましすぎます」

細かすぎる悩みや葛藤、複雑な人間関係や家庭環境でいちいち気分を浮き沈みさせないと生きていけない僕たちより、自分を貫き通した上で飼い主への忠誠心をいつ何時も忘れない犬たちの方が、はるかに賢く健全な生き方をしてるように思えてくる。

小池「ポム〜、〇〇くん来てくれたねぇ?嬉しいねぇぇぇ」

背中を撫でられているポムは小池さんの甘い声を完全に無視、小池さんの方を見ることすらなく、だるそうに立っている。これが王者の風格か…。来世はポムに生まれたいとすら思ってしまう。

〇〇「最近どうですか、トリマーの仕事」

小池「めっちゃ楽しいで!色んなワンチャンおるから性格ごとにこういう対応とか、こういう撫で方したらとか、そういう勉強もできるし!」

〇〇「めっちゃ充実してそうすね」

小池「可愛い子多すぎて毎回飼い主さん迎えに来たら寂しくなるねんけどな、でも家帰ってポム見たらポムぅ〜ってなってまう」

〇〇「こんな可愛いと無理もないです」

僕もポムを撫でると、嬉しそうに尻尾を振ってくれる。この間僕を睨みつけていた野良猫のこともあるのか、僕は犬派なんだなと思う。

小池「〇〇は?最近どうなん?」

〇〇「うーん…」

小池「"俺って結局音楽やめたいんか続けたいんか、自分でもわからんわー"とか思ってるんやろ」

〇〇「えっ!なんで…」

小池「昨日まつりから色々聞いてん」

〇〇「まつりさん…また勝手に…」

小池「久々ポムに会いたいですって言うてたからドッグラン誘ってみたら予定あったらしくてな、〇〇誘うわってLINEしたら、今悩んでるやろうから話聞いてあげてくださいって言われてな」

〇〇「そうだったんですね…わざわざありがとうございます」

小池「色々あるよな〜、でも今日は私とポムが話よー聞いたるからいっぱい愚痴っとき」

〇〇「はい…」

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ドッグランでその後1時間ほど過ごし、川沿いも夕焼けで美しく染まりかけた頃、小池さんの家に到着した。

玄関から甘ったるいアロマのような匂いが立ち込めている。かなり女子の住む家感が強く、こんな汚いバンドマンが入って良いのだろうか、と少し躊躇してしまうレベルだ。

小池「はいこれ」

小池さんは僕が大好きなエナジードリンクを冷蔵庫で冷やしてくれていた。

〇〇「いいんすか、ありがとうございます」

小池「〇〇これ好きやもんな」

〇〇「よく奢っていただいてましたからね」

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僕は小池さんに詳しいことを色々と話した。

この話の本筋には全く関係ないが、夏鈴やひかるのことも話した。

すると小池さんは妙なことを言い出した。

小池「〇〇は関係ないって思ってるんやろうけど、その子らもこの話に関係あると思うで」

〇〇「え?どういう意味すか」

小池「その夏鈴ちゃんって子は周りからのサポートでまた〇〇に会えるまで回復したわけやし、ひかるちゃんって子は絵描くって好きなことのために上京までして頑張ってるんやろ?」

僕は頷いた。僕をまっすぐ見る小池さんの目が何だか真剣だったので、相槌が打てなかった。

小池「それって〇〇にも言えるというか…バンドメンバーとか保乃ちゃんとか、もっとちゃんと頼ったら助けてくれるのに、〇〇がカッコつけてるせいで必要以上に遠ざけてる人たちっておると思うで」

〇〇「カッコつけてるってわけじゃ…」

小池「違う?」

〇〇「…違わないかもしれないです…」

小池「ひかるちゃんって子みたいに夢とか将来とかそんなデカいもんじゃなくて、ただ好きやからってだけで行動できる純粋さも、〇〇は忘れてもうた、ってことかもしれへんし」

〇〇「…確かに…」

小池「やろ?」

〇〇「…でも俺マジでこっからどうしたらいいんでしょうかね…」

小池「そんなん簡単やん!」

〇〇「…えっ?」





小池「一曲だけ、歌作ってみたら?」





第8話 完
次回へ続く

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