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中編「アイスカフェラテ」
11月になり、東京の街はすっかり冷え込んできた。しかし日中は暑さもまだ残っているような状態で、服装に困る。
僕は中途半端な気温が続くこの時期が大嫌いだ。外は寒いから暖かい格好で出かけると、電車の中はやたらに暖房が効いていて汗をかいてしまい、駅を出たら余計に寒くなるあの現象、思い出すだけでため息が出る。
社会人になって二年目、仕事には慣れてきたものの、毎日やる気は出ない。ゆったりとした職場の雰囲気もあり、シャキッとできない毎日だ。
今までの人生、思い返せばかなり怠けていた。
宿題も前日までしないタイプだったし、彼女ができても、久しぶりの休日に出かけるのがめんどくさいので、デートの約束は自分からはしなかった。
一人暮らしは思ったよりもめんどくさく、仕事から帰った後何も考えずにYouTubeを見ながらタバコを吸うことだけが楽しみになっているこの状況を、どうにか抜け出せないかと思っていた。
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パソコンなど機械にめっぽう弱い僕は、大学卒業後、よく通った中華料理店に就職した。
毎日スーツを着て、朝から晩までパソコンと睨めっこして、なんて生活は僕には考えられない。作り方を覚えた料理を淡々と作り、バイトの子たちのシフトを組む方が性に合っていた。
今日は初めて、僕が新しくバイトに応募してきた大学生の面接を担当することになっている。
雨のせいか、ランチの時間になっても来客は少なかった。
「〇〇〜、そろそろ時間だから行ってきて」
「わかりました」
上司にそう言われ、面接時間の5分前に店を出た。
僕が働く中華料理店「櫻龍」は、大規模商業施設の"SAKURAモール"10階の飲食店フロアに入っている。
そのフロアの端に、大きな庭園に面したテラススペースがある。
雨で濡れているので、屋根がある方の椅子にカップルが2組座っていた。
13時にこのテラススペースでその子と待ち合わせになっていたが、行ってみると既に一人で座っている女の子がいる。
一人でいるのはその子だけなので声をかけようとしたが、あまりの小柄さに大学生とは思えなかったので、少し辺りを見回した。
すると、透明感のある少しハスキーな声がした。
「あの…櫻龍の方ですか?」
「あっ、あなたが面接の…?」
「はい、応募させていただいた森田です」
「あ〜どうも、いやそうでしたか、かなりお若く見えましたので…」
僕はそう言って笑うと、彼女も笑顔になってくれた。第一印象は暗い雰囲気の子かと思っていたので、好印象だ。
「身長は低いけどやる気はありますんで!」
「フフッ…ありがとうございます、ではおかけください」
僕は面接用の資料を机に置き、ボールペンを持った。
「まず履歴書をお願いします」
「はいっ」
渡された履歴書を見ると、いかにも女子といった感じの文字で丁寧に書かれている。
「芸大生の方ですか…ご出身は福岡なんですね」
「はい、去年上京してきました」
「そうですか、もう東京には慣れましたか?」
「…うーん…」
「まだですね」
「まだですか」
「フッ…アーッハハハッ!」
「綺麗に被ってしまいましたね」
彼女がツボって机に突っ伏したまま笑っているので、僕もつられて笑ってしまう。
「…すっ…すいません…」
笑い疲れた顔で必死に真顔になろうと努力している姿が実におかしい。しかしそう注視していると、この子の顔がとてつもなく可愛いことに気づく。
「大丈夫ですよ、もう笑い足りましたか?」
「はっ…はい!」
また笑いそうになっているので、急いで話を進める。
「飲食店でのバイトの経験もあるということで、えーっと、採用させていただきます」
「…えっ?もうですか?」
「はい!もう変に引き伸ばすのもうちも嫌ですし、飲食店勤務の経験がある方なんで是非採用させてください」
「えーっ!本当にありがとうございます!」
「いえいえ、一緒に頑張りましょうね」
僕は自分の財布から名刺を出した。
「改めまして、櫻龍の西田和志といいます、よろしくね」
「はい!よろしくお願いします」
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あれから約1年。僕と彼女は、"ひかる" "〇〇君"と呼び合う仲になっていた。
今日は僕が半休、ひかるも1時間後に上がる予定なので、昼から2人でSAKURAモールで遊ぶことにした。
「お疲れ様です」
「ひかるお疲れ、今日思ったより大変だったね」
「この忙しさで〇〇君いなくなると本当に地獄ですよ、今日のシフトのメンバー個人的に苦手な感じなんで」
「まあ言いたいことはわかる」
歩きながら何でもないような会話をしている。僕は最近、この時間が本当に好きだ。
ひかるは他のバイトの子や店長から、クールな印象を持たれている。
そう思われるのも理解できる。普段からそんなに話すタイプではないし、人と仲良くなるまでに時間がかかるからだ。
しかし彼女が本当はよく笑うこと、意外と涙脆いこと、他人と一緒にいることが大好きな性格であることは、仲良くなった今、僕だけが知っている。
こんなに可愛い子が自分と親しくしてくれているだけで、高校3年生以来恋愛をしていなかった僕には十分嬉しく、なかなかに刺激の強いものだった。
途中、コーヒーショップのアイスカフェラテをひかるに買い、その足でSAKURAモールの12階にある、和庭園(なごみていえん)内のベンチに腰掛けた。
「〇〇君こないだストーリーに女の人載せてましたよね」
「ん?あーあれね」
「誰ですか?あれ」
「…誰だと思う?」
「ねぇ〜、ウザい」
彼女はその細すぎる腕を振り回してポカポカと僕の体を叩く。
「ごめんごめん、あれは大学時代の先輩」
「…ふーん、仲良いんですか?」
「なんか一回相談に乗ったんだけど、それ以来定期的に飯奢ってくれるみたいな感じ」
「それ狙われてるんじゃないですか?」
ひかるはいかにも意義ありみたいな表情で、さっき僕が買ってあげたアイスカフェラテのストローを回している。
「そんなことないと思うけど?だってあの人彼氏いたもんずっと」
「〇〇君バカなんですか?その彼氏ほったらかして後輩の〇〇君に相談してることが何よりの証拠でしょうが!」
「落ち着いてって!何?俺のこと心配してくれてんの?」
「え?」
「あ、それかあれだ!俺のこと狙ってるの本当はひかるって感じ?」
「…もう!ウザすぎマジで」
「ごめんって」
軽く笑って終わらせようとしたが、その後のひかるの言葉で僕は呼吸するのを一瞬忘れてしまった。
「…狙ってたら悪いですか」
「えっ…」
庭園の中にある、木でできた長椅子。
大きめだが、僕とひかるの距離は数センチだけ。
緑の中にいながら、空を見上げると東京を象徴する建物がいくつも見える。
風が吹いた。
その風が僕の体を貫くような感覚になる。激しくなる鼓動、しかしそれを悟られないようにと体に力を入れると、うまく呼吸できなくなる。
恥ずかしくて横を見ていないが、見ていなくとも、ひかるが真剣な顔をしていることがわかった。
それでも先輩として、男として、返事をしなければならないと思った。
強く、そう思った。
「…いや…嬉しいよ?」
僕は咄嗟に横を向いた。
ひかるの大きな目が、真っ直ぐに僕の熱った顔を捉えた。
「…嬉しいんだ?」
「なんだよ」
「…私が〇〇君のこと狙ってたら、嬉しいんですか?」
「…うん」
「へぇ〜、そうなんですね」
はーっと小さくため息をついたひかるは、僕に今飲んでいたアイスカフェラテを渡してきた。
「…飲んでもいいですよ?」
「…い、いや、大丈夫だよ?」
「いいから飲んでください!」
「…わかった」
僕はほんの一口だけ飲むつもりだった。しかし冷たい液体が喉を通った時、ようやく喉が渇いていたことに気づいた。
何か吹っ切れたような感覚になった僕は、そのまま残りを全て飲み切った。
「あっ!全部飲んだ!」
「…ごめん思ってたより喉乾いてた」
このアイスカフェラテは甘すぎないのが売りのはずだった。しかし何故かいつもより甘く感じる。
甘く感じたはずなのに、味がしなかった。
「………」
「…ひかる?」
「…今はそれで我慢してね?恥ずかしいから…」
ひかるの言葉の意味を理解した時、僕は生きてきた中で1番恥ずかしくなってしまった。
社会人にもなって、こんなことで緊張するのは情けないと思ったが、脳と体が言うことを聞かない。
"うん"と小さくいうことが精一杯だった。
左肩に違和感を感じる。
ひかるの頭が寄りかかってきていた。
また風が吹く。
ふわっとした柔らかい風と共に、控えめな甘い香りが僕の顔を包む。
「…なんかいい匂いするね」
「柔軟剤だと思う」
「そっか」
「ねぇ…」
「ん?」
「…なんかひかに言うことないの?」
2週間前、初めて行った居酒屋でひかるが言った、
「昔っから家族と彼氏の前でだけ、自分のこと"ひか"って呼んじゃうんですよね」
という言葉を思い出す。
今まで損な役回りばかり引き受け、人の前で面白おかしく振る舞うことでしかみんなについていけなかったそんな僕が、初めて何も飾らない、素の僕を好きになってくれた人と出会えた。
人を疑って、何に対しても絶望したフリをして、自分は暗いと思い込んでいた僕は、やっと変わることができるようだ。
「…ひかるのことが好き。付き合ってください」
「…はい!よろしくお願いします」
面接の時と同じ返事だった。でも違った。
恥ずかしそうに両手で顔を隠し、指の間から僕を見ている。
映画やドラマ、アニメのような派手な恋愛なんて経験したいとも思わなかった。
なんでもない、こんな普通の日々、普通の恋愛が僕にはあっていると思う。
しかし、その普通こそ、1番尊いものなのだとひかるに教えられた。
「今日から〇〇って呼んでいい?」
「もちろん」
「…自分のことひかって言うの、笑わないでね?」
「…可愛いよ」
「…うるさい…」
「…でも喜んでる顔してるよ?」
「ねぇ!マジでもう…本当っ…うん…まぁ…嬉しいですけども…」
今僕の心に、季節外れの春風が吹いた。
でも、帰りの電車はいつも以上に暑かったし、改札を出るといつも以上に寒かったし、いつも以上に汗をかいていたことに気づいた。
不思議と、嫌じゃなかった。
「アイスカフェラテ」完
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