"ミドリ"の日々 第5話
「かしこまりました」
理佐さんがメニュー表を眺め、かなり多くの注文をした。ビシッとしたスーツ姿の店員さんが深くお辞儀をし、慣れた手つきで丁寧に個室の重たそうな扉を閉めて出て行った。
〇〇「え、あの、えっと…」
渡邉「ハハッ、緊張してる〇〇くんなんか可愛い」
〇〇「そりゃ緊張しますよ!こんな店学生の僕たちがきていいようなところじゃないです!」
天「そうです理佐さん!私たちみたいなものが…」
渡邉「まあまあそう言わずに!ね?たまにはこういうお店で食事するのもいい経験になると思うし」
天「そういうもんですかね?」
渡邉「天はこういうお店にも慣れておかないと!モデルさんなんだからね!」
天「はい…」
〇〇「理佐さん改めて今日は本当にありがとうございます」
渡邉「何そんなにかしこまってるの?いつもの〇〇くんじゃないね」
〇〇「そ、そうですかね…」
渡邉「まあ好きなことやめようか悩んでるんじゃ、無理もないよねー」
〇〇「はい…」
それから来たものを食べては理佐さんは特に音楽や芸能界とは関係のない話を僕と天に話すだけだった。
なんだかずっとフワッとした話題でこの会は終わったので、不完全燃焼といった感じだ。
一通り食べ終わった後、ベンツに乗る理佐さんを見送った。
駅まで行く途中、公園のベンチに腰掛け、タバコを吸いながら天と話していた時、理佐さんからLINEが入った。
たった一言だけだった。
「やめちゃいなよ」
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すでに緑が眩しい季節になってきた。陽射しが心なしか例年より強いように感じる。
ニュースで毎年"何年に一度"みたいな表現で、その年の気候がいかに異常かを大声で伝えているのを見るとなんだか笑えてくる。
その年が本当に異常なのか、去年がマシだっただけなのか、少しずつこの星が崩壊へと向かっているのか、そんなこと誰にもわからないんだよな、と柄にもなく変なことを考えてしまうからだ。
あれから保乃とは若干疎遠になり、大学で会えば少し会話をする程度になった。その大学も最近はサボり気味だ。
由依さんとひかるのいる喫茶店にもしばらく行けていない。
一度、SNSなど全てやめてみて、外の世界との繋がりを絶ち、引きこもってみようと思ったのだ。
しかし、迷惑がかかると思ってバイト先にだけは行っていた。そしてバイト終わり、バイトリーダーと2人で行くご飯が、唯一の生きる楽しみになりつつあった。
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〇〇「お疲れ様でーす」
店に入るなり、キッチンへ向かい挨拶をする。
??「お!きたね、今日もがんばろ!」
どうやって生きてきたらそんな眩しい笑顔をバイトの時に振り撒けるのだろうと疑問に思ってしまうほど、この人はいつでも笑顔だ。
〇〇「まつりさんは今日フルですか?」
??「うん、でもお客さんまだ2人しか来てないよ」
そういってお惚けたような顔をしてみせる。
〇〇「顔からあちゃー、って感じ出てますね」
??「でしょ!結構これ自撮りの時とかやっちゃうんだよね〜」
〇〇「そ、そうですか…」
僕のバイト先である定食屋「竜胆」のバイトリーダー、松田里奈さんは大学進学を機に宮崎県から上京してきた。
初めて出勤した日、「まつりって呼んでね!」と例の眩しい笑顔で挨拶されたことは今でも鮮明に覚えている。
個人経営のこの小さな店では、まつりさんと僕以外には3人しかバイトがいない。
基本は2人ずつ入って片方が仕込みや店長の調理の手伝い、もう1人が接客や洗い物を担当している。
今日は僕が仕込み、まつりさんが接客だった。
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〇〇「お疲れ様でーす」
出勤した時と全く同じ挨拶で店を出る。まつりさんがシャッターを閉め、店の横にある階段を駆け上がっていった。
この店は2階と3階が店長の自宅で、バイトが締め作業を終えると、鍵を2階の店長宅へ届けてから帰るというシステムなのだ。
松田「お疲れ様でしたー!」
22時すぎ、静かな住宅街にまつりさんの運動部キャプテンみたいなデカすぎる挨拶が轟いた。
と同時に店長宅のドアをゆっくりと閉め、ドッドッと階段を降りてくる。
松田「お待たせ!」
階段の最後の2段をジャンプしてピョンと僕の前に立ったまつりさんは、ついてこい!と言わんばかりに豪快に歩き出した。
松田「今日も暇だったね」
〇〇「ほんとに、この店大丈夫なんですかね」
松田「〇〇が結婚する頃には潰れてるかもね」
そういってさっきの変顔をしているまつりさんを見て、少しだけ心が温かくなる。
しばらく話しながら歩いていると、個人経営の飲食店が多く並ぶ通りに出る。この一角に僕たちの目当ての店がある。
和風モダンといった感じの外観、内装も落ち着いている。初見の人はまさかこんな立派な店の店員が女性ばかりで、おまけに面白すぎる人間性をしているとは思わないだろう。
ここの常連は料理の味よりも、その店員たちの虜になっているのではないのか、と密かに思っている。かくいう僕もまつりさんもそうなのだ。
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門をくぐると、"NUMA Tokyo"と刺繍で入れてある暖簾のかかった扉がある。
ゆっくりとそこを開けると強烈に甘ったるい香水の香りがする。
??「いらっしゃいませぇ〜」
その香水の香りを凌駕するほど甘ったるい声でそう聞こえると、ふわふわとした足取りで店員が出てきた。
??「あ!また来てくれたんだ!」
松田「来ちゃった〜!」
戯れ合うまつりさんは無視して僕はそそくさと案内もされていない個室へと入る。
??「あっ!ちょっとぉ!〇〇くーん!」
すぐに甘ったるい声が追いかけてきた。
〇〇「お疲れ様です、いつもの通りここ使っていいですよね?」
??「まあ2人のために空けておいてるからね」
〇〇「ありがとうございます」
??「もう…そんなかしこまって…"2人のために"空けておいてるからね!ね?"2人のために"♡」
〇〇「俺とまつりさんですよね?ありがとうございます」
そう言ってわざと深々とお辞儀をする僕を見て、れなぁさんはこれでもかと頬を膨らませた。
??「ぶぅ…厳しいなぁ」
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れなぁさんこと守屋麗奈さんは、ここの開業当初からの店員さんで、この甘々の雰囲気とルックスの良さ、飲食店勤務の人間としては0点の香水ネイルバチバチスタイルで、東京のしがらみを泳ぎ疲れた中年サラリーマンやおじさん経営者の心を意のままにしている。
さらに、いかにもこういった東京の裏通りにあるオシャレな店が好きそうな、美意識の高いインフルエンサー系女子からも根強い人気がある。
要はカリスマ店員なのだ。
れなぁさんのこの手の誘惑じみた行動に引っかかるといずれ痛い目を見そうなので、僕はいつも適当にあしらっているが、誘惑に負け、この店に通い続ける客を何人も見てきた。無論僕もそうなりかけたことは何度もあるが、最近は慣れ、なんとか耐えている。
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この"NUMA Tokyo"という店は静岡県直送の新鮮な魚介を使った創作料理屋で、若い女将と女性店員数名だけで切り盛りされている、最近食通の間で何かと話題に上がる店だ。あまりの人気のため、数ヶ月前に会員制に切り替え、今では予約もセーブして営業している。
僕とまつりさんは賄いが無い日にここに食べに来てからその美味しさと店員の面白さ、さらに店内は全て掘りごたつの完全個室で、喫煙可能という居心地の良さを気に入り、すっかり常連になってしまった。
このNUMA Tokyoの店長代理を務める女性の友人にあたる人が僕たちの定食屋の常連ということで繋がりもあり、いつも何かサービスをしてもらったり、こうして固定の個室を空けてくれたりしている。
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この店の名物である大きすぎるアジフライを食べていると、まつりさんから衝撃の言葉が発せられた。
松田「〇〇最近音楽してる?」
〇〇「…え?」
松田「やっぱり、バンドメンバーと喧嘩でもした?」
〇〇「待ってください、なんで音楽してないなんて思うんですか?」
松田「そりゃ思うよ!最近バイトの時もスタジオが〜とか、この曲の歌詞が〜とか、言わなくなったもん」
〇〇「そ、そうですかね」
松田「まあ色々あると思うし、音楽って難しいのも一応わかるつもりだから」
〇〇「…まつりさんには敵わないです、ほんと」
松田「〇〇のことはなんでもお見通しなんだから!」
〇〇「…はい…」
松田「たまには相談してよ、一応私先輩なわけだし」
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僕はまつりさんにここ最近のことを全て話した。
まつりさんはずっと相槌を打ちながら聞いてくれていたが、保乃のバレーボールの話をした途端に相槌を打つことすらやめてしまった。
そして、自分の過去について話し始めた。
まつりさんは宮崎県の高校時代、弟さんと文化祭で歌を披露したことがあり、なんでも歌手になるために東京に行きたかったが、親御さんに反対されたとのことで、結局東京の大学で音楽サークルにでも入ろうと思っていたらしい。
しかし、なぜかそういった団体や軽音楽部等の部活動にも参加せずにずっとここまできてフリーターをしている。
その理由は気になってはいたが、なんとなく聞いたらいけないような気がして、ずっと聞けずにいた。
その理由は僕の予想とは異なっていた。
てっきりバイトが楽しいとか、音楽の熱が冷めた、とかそんな理由だと思っていた。
このまつりさんの一言は、この後の事態を少し変えていくことになる。
松田「ライバルに負けちゃったんだ、"私たち"」
第5話 完
次回へ続く
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