"ミドリ"の日々 第4話
あれから2週間が経った。
あんなに満開だった桜の花はほとんど散り、早くも葉が出てきている。
今となってはもう当たり前のことだが、大河公園で話した2日後に由依さんの喫茶店に行った際、僕はひかるに対して疑問に思っていることを聞いた。
芸大で僕と同い年、ならば福岡から出てきたのは3年ほど前なはずなのに、一人暮らしは始めたてだと言っていたことが引っかかっていたのだ。
話を聞けば、高校を卒業後3年間はフリーターをしていたらしい。
なんでも、将来の夢を持ちたくなかった、らしい。
夢ってなんなんだろうね、と話したひかるの顔はあの時の保乃と同じような顔だった。
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今日は日曜日、大学はなかった。もともとスタジオ練習の予定があったが、ベースのメンバーが体調不良でその予定もなくなった。
久しぶりに家でゆっくりできる。
父親は趣味の釣りに出かけ、母親もどこかへ出かけていた。
今家にいるのは、妹だけだ。
起きてから何も口にしていなかったのでリビングに飲み物をとりに行った時、久しぶりに妹と会った。
天「あ、お兄ちゃん」
〇〇「なんか顔見るの久しぶりだな」
天「お兄ちゃんがいつもどっか行ってるからでしょ」
〇〇「大学生ってのは忙しいんだよ」
天「音楽しかしてないくせに」
そう言って笑う妹の顔は、僕の胸を真綿で締め付けるようだ。
その笑顔を振り払うように、僕はジンジャーエールを一気に飲み干した。
〇〇「なぁ、天」
天「ん?」
〇〇「今日、時間ある?」
天「え、別に暇だけど…ついに妹までナンパするようになった?」
〇〇「そんなんじゃないよ!ただちょっと聞いて欲しい話があって」
天「なんかあったの?」
〇〇「まあな」
天「わかった、じゃあ昼ごはんはお兄ちゃんの奢りね!」
〇〇「お前なぁ…まあいいよ、仕方ないな」
そう言って僕は妹の天と昼ごはんを食べることになった。スマホのアプリで、デリバリーを頼むことにした。
天「じゃあ私これで、ごち!」
〇〇「えっ、2400円?!ほんとがめつい女だな、昔はあんなに可愛かったのに」
天「今も可愛い!てか今の方が可愛い!」
〇〇「はいはい…俺はこれにするか」
2人分のメニューを注文した。到着まではあと30分ほどかかるらしい。
〇〇「庭でタバコ吸ってくるよ」
天「私も行く!」
〇〇「やめとけ、高校生のお前が横にいると落ち着いて吸えない」
天「いいでしょ、話したいって言ったのお兄ちゃんの方なんだし」
〇〇「ま、まあな」
僕らは庭に移動した。
ガーデニングが趣味の母によって丁寧に植えられた植物が、春の光を浴びて青々と輝いている。
喫煙者の僕と父はこの庭で吸うタバコをちょっとした楽しみにしている。
天「で、話ってなんなの?」
〇〇「天は最近モデルの方はどうなんだ?」
天「順調だよ!高校の課題と両立が大変だけど、マネージャーさん手伝ってくれるし」
〇〇「そっか、よかったな」
天「え、まさかお兄ちゃんモデルになりたいとか?」
〇〇「そんなわけねえだろ」
天「だよね、お兄ちゃんには音楽があるもんね」
〇〇「その音楽なんだけど…」
僕が今から言うことを察したのか、天の顔は一気に曇った。
天「…まさかやめるなんて言わないよね?」
〇〇「そのまさかだよ」
天「えっ…」
〇〇「正確にはまだ完全に決めたってわけじゃないんだけど、やめようとしてるって感じかな」
天「急にどうしたの…」
〇〇「色々あってさ、芸能界にいる天に相談したいなって」
天「そっか、私でよかったらなんでも聞くから、今モデル出来てるのもお兄ちゃんのおかげだし」
〇〇「ありがとな」
天「天様に任せんしゃい!」
〇〇「任せるには怖すぎるけどな」
天「…お兄ちゃん?」
〇〇「ごめんごめん」
天「ま、昼ごはん食べたらゆっくり話そ」
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妹の天は今年17歳、僕や保乃と同じ翠ヶ丘高校2年生。高校生活を送りながら、普段はモデルの仕事をしている。かなり順調に売れており、インスタグラムのフォロワーは約20万人ほどいる。
僕は大学生になりたての頃、人気モデルの渡邉理佐さんという人と、友人を通じてたまたま知り合った。
ご飯に呼んでもらった時、天の写真を見せたのだが、その時天のことをかなり気に入った理佐さんが、事務所の女社長に紹介。
天は普段から読んでいる雑誌の専属モデルだった理佐さんからの誘いということもあって、すぐ応じたが、当時まだ中学生だった。
高校生になるまでにモデルとして必要な準備をゆっくりしていこうという話になり、高校進学を機に、正式に理佐さんと同じ事務所所属のモデルとして活動を開始した。
華のJKをかなり高い位置で謳歌している妹に、正直嫉妬したことも何度かある。
しかし、天はモデルになる前からこんな僕のことを兄として慕ってくれている。それは売れてからも全く変わらない。いい妹を持ったものだ。
大学生になってから、周りの友人の人間関係や家庭環境などを聞いて、みんな本当に色々苦労しているのだと痛感するようになった。
母親曰く"余裕があるわけではない"そうだが、僕も天も、奨学金を使ったことがない。
昔からそれなりに裕福な生活をさせてもらって、家族仲もいい。
僕はかなり恵まれているんだと気づいたのは本当に最近の話だ。
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僕と天はさっさとご飯を食べた後、ゴミを片付け再び庭に来ていた。
天「いやー美味しかったね」
〇〇「モデルなのにあんな食って大丈夫なの?」
天「ちゃんと太りにくいメニュー選んでます!」
〇〇「そっか、まあプロだしな」
天「理佐さんだって食べる時めちゃくちゃ食べるからね」
〇〇「いいよなぁ、太りにくい体質で」
天「そんなことより、お兄ちゃんの話」
〇〇「そうだったな」
天「なんでまた急にやめようなんて思ったの?」
僕は天にここ最近のことを全て話した。
天「そっか、由依さんの言葉も気になるなぁ」
〇〇「色々自分なりに考えて、今音楽とこんな状態で向き合うべきじゃない、ってのが答えなのかなって」
天「お兄ちゃんの言いたいことはわかるけど、私はもったいないと思う」
〇〇「…なんで?」
天「だって、お兄ちゃんのバンドだって趣味の範囲超えてるというか、結構いい感じじゃん?お客さんも増えてきてるし」
〇〇「それはそうなんだけどなぁ、なんかこれ以上続けると音楽すら嫌いになってしまいそうで、それが怖いんだよ」
天「ねぇ」
〇〇「ん?」
天「お兄ちゃんにとって、音楽って何なの?」
〇〇「…いきなり難しいこと聞くなぁ」
天「それが何なのかによって続けるべきかそうじゃないか、変わってくる気がするんだよね」
〇〇「まあ、そこは天の言う通りだと思うわ」
天「でしょ?でもそれがわからないから困ってるんだよね?」
〇〇「…お前いつの間にそんな大人になったんだ?」
天「お兄ちゃんと何年一緒にいると思ってるの!私にはお見通しだからね」
〇〇「…天には勝てないな」
天「そうだよ!可愛い妹を持てて、お兄ちゃんはほんと幸せ者だね!」
〇〇「そこまでは言ってない!」
天「言ってよ!可愛い?可愛いでしょ?」
〇〇「…可愛いよ」
天「えっ!可愛い?ねぇ私可愛い?ほらやっぱりそうじゃん、まあわかりきってましたけどね」
〇〇「はいはい」
天「ま、そんなことは置いといて、この手の悩みはあの人を召喚するしかないね」
〇〇「あの人?」
天は急にリビングに戻った。
5分ほど経っただろうか、僕がタバコを一本吸い終わるころに、天がスマホを片手に戻ってきた。
天「夜7時に六本木ね」
〇〇「六本木?」
天「焼肉でも食べよ」
〇〇「焼肉?六本木の焼肉なんてそんな高級なとこ行けないぞ」
天「大丈夫、奢りだから」
〇〇「は?誰の?」
天「お兄ちゃんの話、聞いてくれるって」
天「理佐さんが」
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18時半、地下鉄で六本木についた僕と天は指定された焼肉屋に向けて歩き出した。
天「ねぇ」
〇〇「どした?」
天「見た?」
〇〇「何を?」
天「焼肉屋のホームページ」
〇〇「見たよ」
天「そっか」
〇〇「それ以上喋るな、怖くなるだろ」
天「本当に私たちが行っていい場所なのかな?」
〇〇「多分ダメだと思う」
天「だよね、追い返されたら駅前のサイゼリヤでも行こ」
〇〇「サイゼリヤ行けるならむしろ追い返されたいよ」
天「間違いない」
今向かっている焼肉屋はとても僕たち学生が行ってはいけないようなところだった。六本木、麻布界隈の暗く大人びた雰囲気は何度行っても慣れない。
そんな中にひっそりと佇む焼肉屋、しかも個室でタバコまで吸えるらしい。
もしかしたら理佐さんが来ると嘘をついて暴力団の人でも来るんじゃないのか、新手の美人局的なやつじゃないのか、不安だけが頭の中で暴れている。
駅から10分ほど歩いたところに、例の焼肉屋があった。
ぱっと見、焼肉屋とも思えないほどに凛とした佇まい、ドアの向こうにレジ部分が見えたのだが、スーツで身を固めた若い女性が2人立っている。
怖すぎる。
〇〇「なぁ天、もし暴力団の人とかきた時のために先に言っておくよ、今までありがとう」
天「私も、お兄ちゃんの妹でよかった」
〇〇「父さんと母さんには長生きしてもらおう」
天「そうだね、私たちの分まで楽しんで欲しい」
〇〇「未練はないのか?」
天「うん、天国でモデルするから」
そんな冗談を話して緊張を誤魔化していると、左手からゆっくりとベンツが近づいてきた。
後ろ側のドアから女性が1人降りる。
冷たいコンクリートにヒールの音がコツっと響いた。
暴力団なんかではなかった。
暗い街でもはっきりと、そのオーラは目に見えて輝いている。
渡邉「やっほー、久しぶりだね、〇〇くん」
〇〇「…お久しぶりです」
渡邉「天も誘ってくれてありがとうね」
天「いえいえ!兄がお世話になります」
〇〇「よろしくお願いします」
渡邉「あんまり期待しないでね、私音楽のことはさっぱりだし」
〇〇「と、とんでもないです!」
渡邉「お腹すいた!2人ともいっぱい食べようね」
そう言って彼女はヒールの音を響かせ、颯爽と店内に入っていく。
成功者の余裕と黒い服を見に纏う姿は、思わず息をするのを忘れてしまうほど、美しい。
恐るべし女性、渡邉理佐。
第4話 完
次回へ続く
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