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☆1(1)

 私は時々amazonのレビューを見ることを楽しみにしている。特に☆1の評価の話だ。悪趣味な事を承知で言うと、プレイをしていて不満に感じるゲームのレビューを見るのだ。

 何が楽しいのかと思われるのだが、共感とでも言おうか。それが正解だと思うので。

 楽しみにしていたゲームをプレイしていて、想像以上の楽しさを提供してくれるゲームもあれば、想像以上の不満がたまるようなゲームも残念ながら存在する。

 この時点では特定のゲームを語る事を目的とはしていないので、具体的なタイトルは伏せるものの、現在でも不満を抱えつつ遊んでしまうゲームがある。楽しいゲームだったものが、アンフェアな展開によってイライラしてしまうことがどうしてもある。

 こうして不満に思った事を、同じように感じている人がいるのでは?という負の共感を求めてしまう。本当に嫌なクセだと思いつつ、嫌な事を理解してくれる人がそこには居るような気がして、気がつくとamazonレビューを見てしまう。

 結果的に同じようなことを思うユーザーが居て、私だけではなかったんだと安心すると同時に、私が思っている以上の不満を抱える人がいて、☆1のレビューには闇が潜んでいる。

 しかし、☆1の人をアンチそのものとは到底思えない。なぜなら、全員とは言わないものの、遊んで楽しもうとした結果の内容だという事を、同じく遊んだ者としては理解の出来る内容だからだ。

 同じように遊んで、同じような不満を抱え、同じような怒りを憶える人がいるという事は、湧き上がる感情に間違いではない事の証明となる。そこに共感を求める事を、私は決して悪だとは思わない。

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