見出し画像

営業マンに暴言を吐くカフェのクソスタッフ

 率直なタイトルで申し訳ない。今回書きたい事である。

 長年社会人をやっていると色々な事を経験したり、遭遇したりすると思う。時には暴言を吐かれることもあるし、恫喝に近い事を受けたことだってある。それも同じ会社ではなく、外部の人にである。殺してやろうかなと何度思ったかな。そいつらの事を少しでも早く、そして少しでも不幸になることを願わぬ日はなかったな。

 こうして人の不幸を心の底から祈る事、そして願う事で何とか今日まで乗り越えて、気づけば殺意の芽生えた相手の顔も忘れる事が出来たので、恐らくそいつは死んだか、良くて何らかの不幸になってくれた事を喜ぶことにしている。

 さて、この文章からして、私はきっと誰かの事を愛したり、分かち合う事は一生出来ないし、人の事を死ぬまで恨み続ける事でしか生きていけない可哀そうな生き物なんだなと自負している。まあ、実際に暴力をする訳でもないし、実際に殺したことはないので~。思うだけなら自由だ。何処の誰だかわからん人に、人の心を否定されてたまるかと。

 と、本題から相変わらず逸れてしまう私の文章の癖は直さないとね。という事で書きたい事は、残念ながら今でも日々誰かの事を殺してやりたいって思うような人物に遭遇してしまう。日本ってなんでこう、殺意の芽生える人がのうのうと闊歩しているのだろうか….

 私の仕事はテレマーケティングであり、電話で営業をする仕事である。テレアポと言った方が恐らく通じるだろうか。そんな仕事をしているのだが、営業電話なので、当然受けては基本良い気分ではないだろう。私もその電話を受ける事が気分の良いものか?って言うと、良くはならない。悪いけど、気分の良くなるものではない。何故ならそもそもこちら側としては用の無い相手なので、基本時間を奪われるだけでメリットはゼロである。相手はそんな状況から電話に出るのだから、テレアポはデメリットの大きい仕事なのである。

 とはいえ、どんな状況だろうが優しい人は優しいし、切れる人はどんな場面でも切れている。それが電話口だろうが、対面だろうが関係は無い。攻撃対象が居て、攻撃の条件が整えば人は平気で暴言を吐くし、場合によっては暴力を振るう。そういう生き物だ。だからこそ、テレアポにいちいち臆するようなことはしない。

 何なら接客をしていた頃は対面で直接対決になる事もあったし、胸倉は掴まれたことはないものの、レスバを避ける事はできず、ファイトしたことも何度かあった。

 それに比べたら、テレアポなんて所詮は1,2分のやりとりで且つ顔も分からないので、そいつを殺したくなったとしても、数時間後には忘れるものである。

 しかし、どんな仕事でも、どんな状況でも必ずその一線を越えてくるバカが一定数存在する。

 先日とあるカフェに電話をかけたのだ、営業電話だと分かった瞬間、暴言を容赦なく吐いてきた。しかもそれがかなり口調が悪く、非常に乱暴なのである。こういう人が人の心を傷つけ、不幸にするクソなんだと認識したよね。
 
 私としては、カフェというのは人を幸せにする為の仕事だと思っていて、そこに足を運んだ人の癒しになるような、そんな仕事であってほしい。そんな仕事をしているはずのスタッフが、営業の人に対して暴言を容赦なく吐きまくるその対応を考えた時、心の底から多額の負債を抱えてお店が潰れてくれないかな?という気持ちが芽生え、只々そいつの店が潰れる瞬間を夢に見ている。

 まあ、私の憎しみ方もドン引きレベルに強い事は認めよう。だが、先日の記事でも書いたが、こういう糞が、労働者の心を傷つけ、涙を流す人を増やす事に何故気づけない。その人だってその日を生きる為に、誰かを守る為に頑張って仕事をしている人間なんだよ。そんな相手に暴言を呼吸感覚で吐き捨てるような人は、やはり不幸になるべきだし、死ぬべきだと思っている。割とその辺りは本気で思っている。どうして仕事でたまたま電話をかけてしまった顔も名前も分からない相手に平気で暴言を呼吸感覚で吐き捨てる事が出来る?

 結局どっちもどっちと言われればそれまでなのだが、そういうクソには私は暴言を吐くことに罪悪感を抱くことはない。そいつがもし死んだとしたら、心の底から喜び、その日の晩には赤飯を炊くだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?