MOON CHILDのESCAPEという曲

 90年代を代表する曲の一つ。ファイブというドラマの主題歌。この時代は音楽もそうだけれども、ドラマも当たり枠が多く、黄金期と言っても過言ではなかった時代だ。そもそも創作物のほぼ全てが輝きが強い時期だったような。

 長寿アニメのクレヨンしんちゃんや、ポケットモンスターも90年代からの放送だ。数年前にスペシャルドラマでやっていた「ぼくらの勇気 未満都市」も90年代だ。子供の頃の作品は本当に名作が多かった。

 この曲も90年代のバンドの通り、むやみにディストーションを聞かせたギターサウンドではない、輪郭がはっきり分かる演奏をされている。いつからだろうか?パワーコードを歪ませて何を弾いているのか分からないようなアレンジが増えだしたのは。そしてそれは私の編曲も最近の楽曲を否定している割に、何気なく最近の傾向が表れている。

 ギターの音も分かりやすいのだが、ベースの音が全然違う。音色というよりも、何を演奏しているのかものすごくハッキリしている。

 現代の音楽機材は安いものでも解像度が聴ける程度には分かるようになっていて、90年代の音楽を聴いてきた同世代なら特に分かると思うのだが、子供の頃にはベースって居るのか居ないのか正直良く分からないパートの印象があったのではないだろうか?事実私はそう思っていた一人で、低音はすごく重要なのにも関わらず、如何せん何を演奏しているのか本気で分からない程度に、地味なパートだと思っていた。

 しかし、それは当時の機材では低音のラインがくっきりと聞こえるほどの周波数帯域をカバーしているものが、一般のプレイヤーにはほぼなかったのではないだろうか?

 何より10年以上前でも低音なんてまともに聞こえなかったと思う。私が仕事で使っているRMEシリーズのオーディオインターフェースに繋いで音楽を再生した時、今まで聞こえていなかった音が聞こえる衝撃が強かった。特にレコードが擦り切れるぐらい再生していた楽曲にも関わらず、初めて聴こえた音があった。ベースのラインがくっきりと聞こえるのだ。

 オーディオインターフェースを入れたことでリスニング環境が良くなったし、今でもやはりRMEの方が良い音であることは言うまでもないが、iPhoneでもそれなりに聴こえる環境になっている。

 以前のsadsの忘却の空でも思ったことではあるが、この当時の楽曲がディストーションで無暗に歪ませて迫力を出したり、音圧を稼ぐようなアレンジやミックスではなく、輪郭をハッキリさせたミックスや音作りをしている理由は、やはり当時のリスニング環境を加味した結果なのかもしれない。

 この時代にアホみたいなドンシャリサウンドなんてやったら、ベースだかギターだかいよいよ訳のわからないサウンドになっていたであろう。最も、当時の環境ではそもそも音を潰して音圧を稼ぐようなミックス、マスタリングの考え方にはまだ技術的に進んでいなかったのだが。

 逆を言えば、現代のリスニング環境であれば、ドンシャリにミックスしてもどのパートもそれなりに聴かせられるからこその、今の音なのかもしれない。

 そんなこんなと考察をさせて貰えるキッカケとなるMOON CHILDのESCAPEという曲。名曲の一曲と言っても過言ではないにも関わらず、この曲に出会った当初は小学生だったので仕方がないとはいえ、サビの歌詞に存在する「uh この想い」「uh この愛が」というフレーズを「うーんこの想い」「うーんこの愛が」と、「ウンコ」と認識して大爆笑していた。尚、今年で私は30代になって3年ぐらい経とうとしているのだが、当時の私を殴ってあげたい気持ちはある。しかし気持ちだけだ。なぜなら今でも私は「ウンコ」と認識している。そんな状態で、小学生の頃の私に説教をする権利と資格が一体何処にあると言うのだろうか?ウンコを射止めたこの私の感性に、一体誰がNOを突き付けるのだろうか?

 残念ながら、小学生の頃にファイブというドラマの主題歌として、この楽曲を初めて耳にし、サビのフレーズを耳にしたその瞬間から、私の中でこの楽曲はアレンジの素晴らしさ、音作りの意味、当時の環境に適したミックスをちゃんと考え抜いて作られた素晴らしい楽曲ではなく「ウンコの想い」と「ウンコの愛」を語った、ウンコの歌となってしまったのだ。

 音楽家、バンドマンを目指す方がこのコラムの読者にいらっしゃるのであれば、必ず先に歌詞をしっかり見て読んでから、この楽曲を聴いて頂きたい。そして、クソサウンドではなく、本来のクールでカッコいいMOON CHILDに出会ってほしい。ウンコの犠牲者は私一人で構わない。

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