気胸闘病日記最終回
前回のあらすじ....
手術が終わった後はさすがに体力が落ちてはいたものの、肺の違和感も入院中にある程度は緩和され、退院したその日から原則私生活は送ることが出来た。
ただ、退院してからは、転院前の病院から何かと両親が攻撃を受けていたらしい。何があったのかは分からないが....よくわからない闇を見たのは覚えている。当時しっかりやりとりを聞いておくべきだったと思っている。多分このやり取りは間違いなく私の闘病生活に大きく左右した事案だったと思うから。転院のキッカケがスムーズじゃなかったものと思われる。
それから数日ですぐに違和感に気づく。抜糸を終えた幹部がどう見てもおかしい。どうおかしいのかというと、体から糸が生えている。要するに抜糸漏れが見つかったのである。
この当時はメディアでは異常な程、医療ミスの報道が多かった時期で、医療ミスによる死亡事故が多発しまくっていた時期だ。それ故に、病院を信用しない人が増えた時期でもある。
そんな最中に私は、軽いものではあるが、医療ミスをこの体に経験することとなる。まあ、ただの抜き忘れなのだが、結局その後も病院へ行き、申し訳程度の処置をしてもらって、気胸闘病生活を終える事となる。
闘病生活を経験して、そして父親の癌手術の入院を経て思った事は、基本的に闘病生活において、100%万全な治療を受ける事は今の日本ではほぼ不可能ということ。技術力もそうだが、原則ナーバスになっている患者に対して対応出来る医療関係者が、患者に適応しきれない事。そもそも人との接し方がおかしい人が多い事。医療以外には何もわからない人が多い事。そして、そもそもたいした病気でもない人が来院しているので、現場が常に回らない。
結果、細かい所からミスが生じる場面を見てきた。入院していい事なんてない。病気になったら入院しなければならないのだが、出来るだけそうならないようにするしかない。基本的に病院へお世話になる時点で、まともではないのだから。改善しなければならないのだから。
話はそれるが、この病み上がりでバイトに復帰したものの、免疫力が下がっているせいか、風邪を拗らせ休みを申し出るも、無理やり出させようとする店長と揉めて、薬局バイトを辞める事になった。
もう10年以上前なので、はっきり言ってやる。ウエルシアさん。貴方たちは薬を扱う仕事をしているにも関わらず、従業員の健康には一切配慮をせず、病み上がりどころか、肺に穴の開いている従業員をその場で働かせ続けたこと、今でもしっかり恨んでますよ?
医療に関わる企業として、とてもまともな判断の出来る企業ではなかったと私は思っております。
まあ、その判断を下した当時の店長はもう居ないので、今更ウエルシアを責めてもっていう話ではあるのだが、死ぬまでこの恨みは忘れないでしょう。
といった所で、気胸闘病日記の更新はこれを以て連載終了とさせて頂きたい。
noteを始めてから初めて完結したマガジンとなった。そもそも完結しないマガジンがほとんどなのだが....