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割とどうでもいいような第一歩(1)

 2年ほど前の18年にtwitterに投稿されていた美容師の髪型による変化の動画。要するに散髪前、散髪後の動画がバズった。バズったとかいう表現は好きではないものの、分かりやすさを優先させてもらった。

 正直そろそろ美容室というものを卒業しようと思っている。考えてみると、大学生ぐらいの頃から自分でお金を稼ぐことにもなったし、散髪代も自分で出すようになっていた。

 それと同時に髪もそうだけど、校則と同時に捨てた制服を着なくなる事で、私服というものを(恐らく)小学生以来の頻度で着るようになるのだが大学生だと思う。

 つまり、身だしなみ(がいいかどうかは別)としての私服、髪型、そういうのを意識しだす時期でもある。

 そのギャップの差なのか、大学生といえば服装から髪型まで最も個性が暴走する時期だと思う。

 私も大学生になってからは、床屋ではなく美容室を利用している。服も東京が近いので原宿へ行って、服を買っていた。

 しかし、あれからもう十年以上年を重ね、大学生との距離も随分と遠くなった。勿論見た目だって気持ちは若く居ようと思っても、相応の時間が経っている。それは今テレビに出ている同い年のタレントでさえ抗えない現実。

 その間に結婚をして家庭を持った人、そうでない人も関わらず、落ち着き始めるのがやはり今の私の年齢だ。勿論この年でもむしろハデになる人もいるが、大体の人は落ち着く。

 その変化としては、もう大げさに気にする必要のなくなった身だしなみ。結婚をしてしまえばおしゃれをしなくても、既に相手もいるし、子供の養育もあるしで仕事以外の身だしなみは疎くなるだろう。髪型だって遊ぶ人は減るだろう。

 という事で、この年になると、床屋へ戻るオッサンは多いと思う。という意味で、正直私もそろそろ美容室は卒業しなければならないのかもしれないと感じていた。

 しかし、私は結婚もしていなければ、彼女だっていない。完全に独身である。そこでファッションまで無頓着になってしまえば、いよいよ私は抜け殻に等しくなってしまう。

 もうファッションに妥協を許されているのは年だからではなく、それだけの所までたどり着いた人の末路というだけであり、私はまだそこにすら到達していない大人なのである。

 だからこそ、見た目もそうだし中身もそうだし、まだ全く油断をしてはならない立場だという事も自覚している。

 そして、どんな年でも、どんな老け方をしても、理想の見た目に近づけるのであれば、やはりそれなりの技術、それなりの投資は避けられない。それは音楽でもそうだし、ネカフェの店長経験でもいえるが、投資をケチると良い事なんてないのだ。

 ケチる事が出来る人というのは、自覚があるのか無自覚なのかは関係なく、既に必要な何かを手にしている場合が大半なのである。

 例えば髪型だってそうだ。髪型で人は変わるというが、ベースが良い人であればある程、余計な事をしなくても様になる。料理で言うと分かりやすいだろうか。良い肉であればある程、塩だけで十分な味として成立する。そういうものだ。

 しかし、私はとても塩だけで味を出せる人ではないことを、30年以上掛けて理解したのだから。

 と、言う事で、この年になって甲斐性なくカッコよくなりたいと思ってしまった。

 実際最近ランニングと筋トレも始めて、筋力が少しずつ目に見えてついてきたのもそうだし、実は毛深い足と体毛も(腕を残して)剃った。腕は現在の仕事で見せてしまっていて、剃ったら絶対いじられるので剃らずにいる。

 しかし、剃ってみると筋肉のラインが滅茶苦茶綺麗に見えるのである。筋トレを続けている間は、そのラインをしっかり見えるようにしたいと思うようになった。

 となれば、可能な限り良いビジュアルを保ってみたいと思うのが人の性ではないだろうか?

 ということで、木曜に遂に話題になった美容室へ行くこととなった。

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