チョコレートを大量に貰った話(脱線しました、ごめんなさい)

 この写真を空の色がなんかチョコレートっぽいと思って、チョコレートをもらった話を書こうかと思う。

 そもそも読者の皆様はプレゼントをもらうような習慣はあるだろうか?私はモテないので全然そういうプレゼントを貰うという経験が無い。って言い切ろうと思ったが、お茶会をやる時に割とお土産を頂く事が多い。すぐに思い出せない辺り、私は人から貰う事に対する感謝の気持ちが足りないのかもしれない。気を付けたいところだ。

 しかし、バレンタインでチョコを貰うような回数ははっきり言って少ない方だ。とういうよりここ2,3年貰ったことがない。いや、これも嘘だ。数年前ではあるが、やはりお茶友から貰っている。

 本当に人から貰ったことに対する感謝の気持ちが足りていない。だからこんな捻くれた大人になってしまうのだ。

 あれ?私もしかしてリア充?さすがにこれはポジティブすぎる。毎年貰えるようなコネクションなんかないし、多分だけど人並みにモテて人並みの生活が出来るような人であれば、人並みに結婚をして、人並みに子育てをして、人並みな仕事をして、人並みに収入を作って、人並みな幸せと不幸のシーソーゲームを嗜んでいるはずだ。

 しかし思い返せば余り物のルックスに、余り物のような生活をして、余り物のような独身生活で、子供は勿論居ない。

 やめよう、この話は。そもそも私は大学の頃のある時期に、誕生日でもなくバレンタインでもないにも関わらず、よくわからない時期に大量のチョコレートを多人数からプレゼントをされた話を思い出したので、その事について書こうと入りでまずプレゼントを貰ったことがあるかどうかの下りから始めてから展開していくつもりだったのに、気が付けばまたやれ結婚がとか、やれモテるモテないとか言い出してしまった。

 オッサンというのは、話が脱線してしまうとすぐ脱線した方向に話を進めてしまう。でも悪く思わないで欲しい。私が大好きだったマツコ有吉の怒り新党という番組があったのだが、そのトーク内容も最初のテーマからだんだんトーク内容がずれていき、しかもそのズレた内容で盛り上がる。そしてそれが面白いのだ。

 その気持ちが分かる。実際に脱線した話というのは、好奇心によって軌道を変えられた結果なので、やはり脱線した話がヒートするのは誰かとの会話であれ、このエッセイであれ、興味が勝った結果なのだ。そして、そういう時に書く文章の方が筆が動く。

 好奇心と悪口は、筆を動かす最高のテーマなのだから。思い出したエピソードを語る前に、まず私が見直さなければならない事は、プレゼントを貰ったことに対する感謝の気持ちをもっと持つべきだということだ。

 それを再認識出来ただけ、このエッセイの執筆は無駄じゃなかったと思いたい。

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