哲学クンとの再邂逅(26卒人事面談を終えて)

あらすじ
著者は就活1ヶ月生であり、とある企業の早期選考インターンを目指して人事と1時間の個別面談が予定された。カジュアル面談という名の面接として堅苦しく始まったそれに、前々から収集した情報を使ってカッコよく答えていくつもりだったが、さすが人材企業というべきか。これまでの面談と違い、目標としての夢ではなく、心理とか人間像のみに話の流れが向いてしまったのだ。「外から学ぶ広い視野」をマジで意識して生きている筆者には「お前の人生の主体意識」が希薄であり、人事の言っていることに答えようと脳がキャパ超えを起こし爆泣き(「すみません混乱で涙が出る性質ですがひどい花粉症だと思って気にしないで下さい」)をかましてしまう。
その後まさかの4時間に渡って話し込んだあと(インターンは決まったらしい、色々学んでほしいとのこと)頭痛に苛まれて昏睡、起床した著者は、忘れないうちに得たことを整理しようとメモを取るのだった。


ん?29日って昨日か
色々あったよ…本当に、色々…
私就活ダメかもな。人生とか、思想とかを掘られるのが苦手かもしれない。何が出来るかとか、事実で話すことを続けてきたから、ふわっとしたことが話せない。明日変わるかもしれない自分の感情を、あたかもそれが将来も続くように話す価値ってなんだ、と思ってきた。それで中身が空っぽと思われてしまったり、実際中身があるかどうかには拘ってないが、(その理由を説明している間にも)この子は自分に嘘をついているから雇って後悔されるかもしれない、と判断されたりする。
違うよ。自分が何をしたいか考えなくても幸せなんですよ。
だってそこに困ってる人がいるじゃん。だったら助けるというタスクが向こうから降ってくるんですよ。それを自分のやりたいことにして、その困っている人と一緒に解決を目指す、ことを繰りかえしてきたんですよ。
だけど、その繰り返した先に何を求めるのかが空っぽなので、多分そうやって死ぬだけというか。なんかずっと生きてる気がしないというか。でも、そうやって人を助けてやれることやってるうちに、自分本位の将来像が見つかるかもしれないじゃないですか。

そもそも、私がやりたいことが未来に無いんです。私は人と話すこと、アイデアを出すこと、計画を実行することが好きなんです。それは仕事に限らずどこでも、評価を求めなければ誰でも出来ることですよ。で、私はそれへの熱量と没頭がすごい。
そこが目的になっていて、今はもう達成されている状況なんですよ。だから未来に求める人間像なんてない。その熱量が人に求められて、もう十分人を助けることが出来ている。これを仕事にした瞬間、その規模は嫌でも広がって、より多くの人を助けることにつながる。なぜ人を助けたいかというのは、それが難しい課題であるほど情報収集から組み立て、制約の多さと難しさから、没頭できる甲斐を感じられるからです。助ける人間は色々いる中、1番助けるのが難しそうなところに、少ない投資のクリティカルなアイデアで爆発的に効果を及ぼすにはどうすればいいかを考えるのが楽しい。
仕事だったら、考えるだけじゃなくて実行まで担って、結果からフィードバックを得ることができるのも楽しみだ。だからそこを一連で担えて、社会貢献性を軸に置いていて、上下を気にせずアイデアを出せる環境がいいな。

十分だろうと思うんですが。「でも長期的な将来像がないと」とか「この会社での何を使って成長したいの?」って聞かれなければならない。そんなこと考えて生きてないから、練り上げなきゃならないけど、それが嘘になったりするね。
そもそも、社会貢献のために計画を立てるのだって、今好きなだけかもしれないよ。
うーん。
夢とかー希望とかー、ある一定のタスクの中で感じるタイプです。だから目標地点を達成することを続けているんです。

なんでも出来るようになっておきたいかも。なんでも出来たら、いざ〇〇の手段で人を助けようとなった時に、もっと効果的なことが出来るし、矛盾なく計画を立てられる。
うん、単純に「なんでも出来る人」を将来像におこうかな。知識を増やして「人と話すこと、アイデアを出すこと、計画を実行すること」は満たされているけど、その質を高めていきたい。そしたら、今は「社会問題は難しいから5%の改善を20回やることが大事」と思っているけど、100%の改善案みたいなところまでいけるかもしれない。

自分の作り出すもののクオリティ、社会に及ぼす影響のデカさを高めたいな。浅く広くが持ち味だから、この世における出来ないことをなくしたい。「出来ないことがない人」いいね。
でも、それは「出来ないことがない人」になることで同時に質の向上という順番なんだよな。だから目標像じゃない。
今思い出したけどなんとなく、死ぬ時に惜しまれたら嬉しいと思っている。だけど仕事に関係がないんだよな。仕事で関わった人に惜しまれる時って、恩とか事実の要因じゃん。

どんな人間になりたいんだとか、考えることを求めなくてもやるべき課題は常にあるし、だから解決を目標にしてやるだけ。
それを続けられる環境がいいね。ってこと。
やりたいことを続けるために、求められる人間になりたい。やりたいことが降ってき続ける人になりたい。そしたら自分って何?とか一生考えなくても、その答えは常に色々な形で周りから与えられると思うんだよ。
だから、「難しい課題を任せられる人」とか、「難しい課題を成功させられる人」もいいね。

うん。
要するに、人と話すこと、アイデアを出すこと、計画を実行することの質を高めて、「難しい課題を成功させられる」人になって、真に困っている難しい課題を抱えた人から求められるようになりたいな。そしたら好きなことを一生続けられるよね。
それで良いんじゃないかな。
従来の短期課題が進んでいく流れに、方向性をつけられる?ような気がする。一つ成功を重ねたら次はより難しい課題を選ぶのって当たり前ですよね、本当はね。そしたら人から求められるようになりますよね。と思ってしまうからやっぱりこれ理論かも。

だからやっぱり本当になりたい人間像は、今の私自身なんだと思う。絶対に誰にも壊されずに、この自分のままであることが目標。今の自分の生き方を正しいと信じて疑っていないから、これ以上なりたい人間像を置く必要性も感じていない。
うん、「将来像は今の自分のままでいること」かな。
その今の自分っていうのは、その時々で変わっていくものだと思う。だから、その時々で自分が1番だと思うことを純粋に追いかけられる人生に、そのためには確固たる基盤としての「難しい課題を解決できる信用ある実力」を持つ人になりたいですね。

ある程度固まったかな。

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